311の東日本大地震から3ヶ月目の6月10日~12日、NPO伊東里山クラブの高野さんにお誘いいただき、南三陸町、東松島市に行ってきました。
伊東里山クラブは、震災直後からずっと支援物資を被災されて困っている方々に直送する活動をしている団体です。
代表の高野さんご夫妻、お2人ともすごい活動家です…!
今回一緒にいったのは高野ご夫妻と伊豆市の山下さん、私、の4人。
現地の状況がよくわからない中で、とにかくテント、キャンプ用品、水などと、支援物資を積み込んで伊豆高原を早朝スタート。
東北道を走っていても、福島あたりから屋根の仮補修のためのブルーシートがちょっと目立つくらいなので、震災の影響をあまり感じることはありません。
高速を下りてからも、そう。
道路はあちらこちらガタガタになっているけれど、やはりそんなに被害を受けたように見える建物もなく、ふつうの日常生活を送れているよう。
ところが…
南三陸町・志津川に近づくと様相は一変します
「あの」防災無線の最後の放送を伝えた建物
テレビ映像でよくみる建物。震災前は商業施設が集まった「街」だったという
気仙沼線歌津駅。寸断された線路に走る電車はない。復旧はいつになるのだろう…
高台にある歌津中学校は無事残り、避難所に。だが役場支所の姿はもうない
震災前までは、海水浴でにぎわっていただろう、歌津の海水浴場も
いまではすっかり姿を変えてしまっている
このパンフレットにある民宿も、2軒を残しあとはすべて津波にさらわれた
平成の森キャンプ場は避難所に
地元では「わかめ御殿」と言われていた民家も被害に
「6月24日営業再開」と書かれた紙が貼られていた、ファミマ
被災した名足小学校。校庭はきれいに片づけられていたが、子どもたちの姿はない
高野さんがたびたび支援物資をお送りしている最知さんのお宅に行き、伊東の「アジのひもの」をお届けしました。
今回の目的のひとつは、この最知さんとお会いすること。
最知さんはご自宅に届いた支援物資を地域の25軒に分け、届けてくださっています。
ちょっと内陸にある大型のショッピングセンターに行けば、もうなんでも買うことはできるのですが、そこまでの行くための足がなくて困っている方々のために、ご家族総出でご近所のために荷受け・荷分け・お届けをしていらっしゃるのです。
物資が地域の方に平等に行き渡るように分けるのは、とても神経を使う作業です。ましてや1日何便も届く支援物資の応対で、ご自身のお仕事などとてもできそうにありません。
最知さんと一緒に、物資をお届けしているご家庭へ。
やはりじかにお会いすることができるとうれしい。
最知さんのとなり近所。数軒あった家は全て流されてしまった
ちょっと高台にある最知さんのご自宅も玄関ぎりぎりのところまで海になってしまったとのこと。同じ集落で明暗を分けてしまったのは、とてもつらかったことでしょう。
夜はテント泊の予定でしたが、激しい雷雨になるとの予想で最知さんが清観荘を予約してくださっていました。清観荘は高台にあるため津波からは逃れられたものの、ようやく「電気」と「水」が使えるようになったばかりの民宿です。なんだか申し訳なく思いつつ、心づくしの夕食をいただきました。
「ほんとうは、美味しいウニをごちそうしたかったんだけど、加工場がやられちゃって…」清観荘の女将は申し訳なさそうに話されていましたが、それでも確実に復興に向かっていることが感じ取れた楽しい夜でした。最知さんご夫妻、清観荘のご夫妻とじっくりお話しできて、本当によかった!
清観荘は被災者の受け入れもおこなっており、廊下には地域の情報を伝えるさまざまな掲示物が…
翌日の午前中は雨。最知さんの案内で、南三陸町をあちこち車で見てまわりました。
おおぜいのボランティアが瓦礫の撤去をお手伝い
アザラシのウタちゃんで有名になった歌津。
ウタちゃんばしが見える
午後はすっかり晴れ上がったので、せめてものお手伝いとして倒木の片づけをしました。チェーンソーの扱いは、伊東里山クラブの腕の見せどころ。
あまり役に立たないワタシは、なぜか最知家のわんちゃんと仲良しに…
2日目は、登米市の長沼にあるキャンプ場でキャンプ。
キャンプ場のそばにある「ヴィーナスの湯」という日帰り温泉に入浴
3日目は、早朝から東松島市へ
ここでは、ネットを通して出会った現地ボランティアの方々と会ったり、近く石巻で行われるフリーマーケットに出してもらう物をお渡ししたり。
おともだちの富山の氷見温泉永芳閣の女将づてで知り合うことができた、現地ボランティアの美嘉さんともお話ししました。ロックタウン矢本の酒売り場にて。
日本酒購入で応援ということもあるので、おみやげに数本購入。
浦霞、一の蔵
ちょっとぜいたくに特別純米酒
三陸河北新報社が発行した記録写真集
現地ボランティアの川村さんから
東松島もすごい状態だが、いまだにどうにも手がつけられていない
最後に訪ねた、門馬さんのお宅。ようやく避難所からご自宅に戻られ、片づけつつ生活が始まったところ。持参したものが少しでも役立つとうれしい。
明るくてステキなご夫妻で、ゆっくりお話ししたかったのですが、レンタカーを返却する時間に間に合わなくなるため、あわてて出発。
「富士山観たいな」とおっしゃられていたので、ぜひ伊豆にお呼びしたい。
松島に向かう途中の海産物販売店で、食事。
わかめのおみそ汁がおいしい。
ここらあたりから、松島の観光スポットあたりは、まるでなにも被害に遭っていないかのよう。なんだか不思議な気分。
======
あれからもう2週間以上経つ。
24日から、ふたたび東松島・石巻に行っていた高野さん曰く
「片付いていない状況は2週間前とほぼ同じ、人もまばら。商店などなし。石巻は壊滅状態でいまだ信号も停電(おまわりさん2名手信号で交通整理)している。ものすごいニオイ」とのこと。
まだまだ頭の中も持っていった荷物も写真も整理できていないが、自分になにができるかをじっくり考えたいと思う。
最知さんのお庭の畑で見つけた4つ葉のクローバー。
きっとかならず、みんなが笑顔になれる日がくるね。
伊東里山クラブは、震災直後からずっと支援物資を被災されて困っている方々に直送する活動をしている団体です。
代表の高野さんご夫妻、お2人ともすごい活動家です…!
今回一緒にいったのは高野ご夫妻と伊豆市の山下さん、私、の4人。
現地の状況がよくわからない中で、とにかくテント、キャンプ用品、水などと、支援物資を積み込んで伊豆高原を早朝スタート。
東北道を走っていても、福島あたりから屋根の仮補修のためのブルーシートがちょっと目立つくらいなので、震災の影響をあまり感じることはありません。
高速を下りてからも、そう。
道路はあちらこちらガタガタになっているけれど、やはりそんなに被害を受けたように見える建物もなく、ふつうの日常生活を送れているよう。
ところが…
南三陸町・志津川に近づくと様相は一変します
「あの」防災無線の最後の放送を伝えた建物
テレビ映像でよくみる建物。震災前は商業施設が集まった「街」だったという
気仙沼線歌津駅。寸断された線路に走る電車はない。復旧はいつになるのだろう…
高台にある歌津中学校は無事残り、避難所に。だが役場支所の姿はもうない
震災前までは、海水浴でにぎわっていただろう、歌津の海水浴場も
いまではすっかり姿を変えてしまっている
このパンフレットにある民宿も、2軒を残しあとはすべて津波にさらわれた
平成の森キャンプ場は避難所に
地元では「わかめ御殿」と言われていた民家も被害に
「6月24日営業再開」と書かれた紙が貼られていた、ファミマ
被災した名足小学校。校庭はきれいに片づけられていたが、子どもたちの姿はない
高野さんがたびたび支援物資をお送りしている最知さんのお宅に行き、伊東の「アジのひもの」をお届けしました。
今回の目的のひとつは、この最知さんとお会いすること。
最知さんはご自宅に届いた支援物資を地域の25軒に分け、届けてくださっています。
ちょっと内陸にある大型のショッピングセンターに行けば、もうなんでも買うことはできるのですが、そこまでの行くための足がなくて困っている方々のために、ご家族総出でご近所のために荷受け・荷分け・お届けをしていらっしゃるのです。
物資が地域の方に平等に行き渡るように分けるのは、とても神経を使う作業です。ましてや1日何便も届く支援物資の応対で、ご自身のお仕事などとてもできそうにありません。
最知さんと一緒に、物資をお届けしているご家庭へ。
やはりじかにお会いすることができるとうれしい。
最知さんのとなり近所。数軒あった家は全て流されてしまった
ちょっと高台にある最知さんのご自宅も玄関ぎりぎりのところまで海になってしまったとのこと。同じ集落で明暗を分けてしまったのは、とてもつらかったことでしょう。
夜はテント泊の予定でしたが、激しい雷雨になるとの予想で最知さんが清観荘を予約してくださっていました。清観荘は高台にあるため津波からは逃れられたものの、ようやく「電気」と「水」が使えるようになったばかりの民宿です。なんだか申し訳なく思いつつ、心づくしの夕食をいただきました。
「ほんとうは、美味しいウニをごちそうしたかったんだけど、加工場がやられちゃって…」清観荘の女将は申し訳なさそうに話されていましたが、それでも確実に復興に向かっていることが感じ取れた楽しい夜でした。最知さんご夫妻、清観荘のご夫妻とじっくりお話しできて、本当によかった!
清観荘は被災者の受け入れもおこなっており、廊下には地域の情報を伝えるさまざまな掲示物が…
翌日の午前中は雨。最知さんの案内で、南三陸町をあちこち車で見てまわりました。
おおぜいのボランティアが瓦礫の撤去をお手伝い
アザラシのウタちゃんで有名になった歌津。
ウタちゃんばしが見える
午後はすっかり晴れ上がったので、せめてものお手伝いとして倒木の片づけをしました。チェーンソーの扱いは、伊東里山クラブの腕の見せどころ。
あまり役に立たないワタシは、なぜか最知家のわんちゃんと仲良しに…
2日目は、登米市の長沼にあるキャンプ場でキャンプ。
キャンプ場のそばにある「ヴィーナスの湯」という日帰り温泉に入浴
3日目は、早朝から東松島市へ
ここでは、ネットを通して出会った現地ボランティアの方々と会ったり、近く石巻で行われるフリーマーケットに出してもらう物をお渡ししたり。
おともだちの富山の氷見温泉永芳閣の女将づてで知り合うことができた、現地ボランティアの美嘉さんともお話ししました。ロックタウン矢本の酒売り場にて。
日本酒購入で応援ということもあるので、おみやげに数本購入。
浦霞、一の蔵
ちょっとぜいたくに特別純米酒
三陸河北新報社が発行した記録写真集
現地ボランティアの川村さんから
東松島もすごい状態だが、いまだにどうにも手がつけられていない
最後に訪ねた、門馬さんのお宅。ようやく避難所からご自宅に戻られ、片づけつつ生活が始まったところ。持参したものが少しでも役立つとうれしい。
明るくてステキなご夫妻で、ゆっくりお話ししたかったのですが、レンタカーを返却する時間に間に合わなくなるため、あわてて出発。
「富士山観たいな」とおっしゃられていたので、ぜひ伊豆にお呼びしたい。
松島に向かう途中の海産物販売店で、食事。
わかめのおみそ汁がおいしい。
ここらあたりから、松島の観光スポットあたりは、まるでなにも被害に遭っていないかのよう。なんだか不思議な気分。
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あれからもう2週間以上経つ。
24日から、ふたたび東松島・石巻に行っていた高野さん曰く
「片付いていない状況は2週間前とほぼ同じ、人もまばら。商店などなし。石巻は壊滅状態でいまだ信号も停電(おまわりさん2名手信号で交通整理)している。ものすごいニオイ」とのこと。
まだまだ頭の中も持っていった荷物も写真も整理できていないが、自分になにができるかをじっくり考えたいと思う。
最知さんのお庭の畑で見つけた4つ葉のクローバー。
きっとかならず、みんなが笑顔になれる日がくるね。