3.11の、印象が大きいのですが、
片品村の「東日本大震災」は、この日から始まった・・・・
と、言いましょうか、本格支援(被災者受け入れ)が始まりましたよね。
写真は三年前(3月18日23時頃到着、3月下旬夕食)
片品村の南相馬市の被災者受け入れが決まりまして、まるみつ荘も微力ながらお手伝いしたのも、遠い昔?と言いましょうか、もう三年!
当時は、灯油や電気、食糧品の心配をしていたような・・・
片品村の被災者受け入れ・対応に対しては、色々な意見が有りましたが、
まあ、私は「良かった。」と、思っています。
何が「良かった」って当時の、かたしな高原旅館組合の組合長、池田さんが受け入れに対する我が組合の方針を、早期に打ち出し組合員も方針にしたがったと思う。
方針は、二つ!提供部屋数=家族数(グループ数)
まあ簡単なようだが、まるみつ荘の場合5部屋だから、最少5人って事も・・・
まだ寒かったし灯油も手に入るか・・・って時だったから、大部屋で・・・・なんて所もあったようだが、組合長の「相部屋だったら、体育館と同じ」「片品に来た意味ない!」の言葉で、我が組合で受け入れた方はプライベート守られたのでは・・・・
と、もう一つは、被災者の移動はなるべくしない。
これも、他の組合では問題になったようだ・・・今考えれば最初からの受け入れ組合も少なかったような・・・・
4月になったら、被災者を1週間交代で受け入れだした組合もあったとか・・・で「また移動ですか?」っといった方もいたとか・・・・(まあ、言いたくもなります)が、宿にも事情がありまして・・・・かたしな高原旅館組合のほとんどが、赤字だったが最後の一人になっても、移動はなかったと・・・・思いますよ、
まあ、約2カ月半の受け入れだったが、いろいろと学びました。「今度はもう少し上手く出来るかも」って、二度とない事を願います。