今日も尾瀬の入口までの仕事に・・・
尾瀬の水芭蕉の見頃は、来週位からがいいかと・・・・・
まあ、下山して来た人に聞くのですが・・・・感想が人それぞれで・・・・イマイチ解らないのですが、明日は友達の「荷背負い」さんに会えるかも?しれないので、情報を良く聞きたいと思います・・・・・
尾瀬に来るお客さんは尾瀬ケ原一面に水芭蕉が群生していると思っているらしく、どうも話が合わないような・・・・・綺麗な水芭蕉と言いましょうか?絶景と言われているポスターや写真集などに出ている所までは、やっぱり歩かなくちゃだし・・・・そこを基本に教えてもらえると、嬉しいのですが・・・・・
自分で行くしかねえかな・・・・・。
まるみつ荘周辺の、かたしな高原地区、今日田植えをした家が多かった。
月曜日は戌の日(いぬのひ)、昔から田植えはしないんですね。
野草の名前で、すずめは小さい、からすは大きい、いぬは役に立たないの意味があるみたいだから、そんな事でしょうかねえ?
昔は麦を作っていて、「イヌムギ」なる食用にならなず、役に立たない麦があったので、戌は嫌うのでしょう・・・・か?。
でも、戌の日は安産の日でも有りますから・・・・家の嫁も戌の日に腹帯しましたよ。片品村の健康カレンダーにも、戌の日が載ってますよね。
兼業農家の人は土日しか休めない人も居るから、そんなのは関係なくなって来てるけど、平日の戌の日にさすがに田植えをしている人は居ませんでしたね・・・まるみつ荘もいまだに昔の人が言ったのを守ってますよ。
まあ、今年は休みながらやるつもりで、半日仕事して半日戌の日状態ですけど・・・
戌の日に田植えして、稲が病気にでもなったら、新しい伝説を作っちゃいますからね。
片品村は何処の家も、田んぼの「せっちょう」で忙しいです。
私も田んぼの草刈り「せっちょう」です。
今年は、病み上がりだから、今年くらい田んぼの草も遠慮してくれればいいのに・・・・
まあ、そんな事は、雑草には関係ねえけど・・・
で、「せっちょう」て言葉、まるみつ荘周辺で使われてる方言で、
養蚕の行われた土地で使われてるらしい・・・です?
聞いた話では・・・野麦峠の映画などで見た事があると思うが、繭玉の糸をほぐす時に、ほそ~い糸が切れるらしい。切れると工員が手作業で切れた所をつなぎ治す。その作業を「せっちょう」と言うそうで、細い糸と糸をつなぐような、めんどくさい地道な作業を「せっちょう」と言うようになったらしい。まるみつばあちゃんも、富岡製糸で働いた事が有るらしいが、この事は知らないようだ・・・・、
まあ、せっちょうだけど、やっとかねえと収穫に響くし・・・百姓は手間がかかるけど、しょうがねえやいな!
まるみつ米順調に育ってます。
今年は、春先から無職で困ったと思ってたら・・・
思わぬ病気「肝膿瘍」で入院と・・・・・
まあ、この入院で色々と学びました。
入院後記!
肝膿瘍でまさかの入院!原因は「常在菌」なるもで、口や鼻などに居る菌だそうでなんらかの原因で肝臓に入ったらしいが後は不明・・・・・肝臓に溜まった膿は、一日で出来る事もあれば、何年、何カ月とかかる事もあるとか・・・私の「体調が悪い」と言っていた期間との関係も不明、血圧の不安定も不明・・・・病気は生物で発病しないと解らないそうで、私の場合は発熱で検査して判明!病院は病気を治すところで、なんで病気になったか?何が原因なのか?よりも、その病気を治す事の方が大事!入院後半からは自分もそう思うようになったから、原因を聞くのもやめました。
片品弁で、「なっちまったもんは、しょうがんみゃあ」「なおすしか、あんみゃあ」ってな感じかな。
で、入院中一番困った事は「くすり」、前橋の日赤に入院で、入院生活は補給の回数が減り持久戦になったのですが、常備薬を忘れ日赤で出してくれたのですが、成分は同じと薬剤師さんは言うのですが、いつもの薬と違うから、なんとなく・・・・で、東日本大震災の時、まるみつ荘に来た南相馬市の「じっちゃん、ばっちゃん」が、「くすりが合わない、違う」と言っていたのを思い出しました。当時は余裕もなかったけどもう少し何とか出来たんじゃあないかな?と思いました。「薬が合わない、違う」は成分は同じでも、色や味、硬さそして入っている容器の違いで、精神的にも困った事だったでしょう。情報化の時代、ネットで同じものが見つかったのでは?と思いました。まあ、今頃気が付いたんじゃ遅いけど・・・・
修業が足りなすぎます。
今後に活かして行きたいと思います。
昨日、今日と片品村も暖かい日が続いています。
水芭蕉の森では、朝と夕の景色が違うくらい、水芭蕉や他の草がのびて来ました。
で、闘病日記
4/25.26の検査で異常がなく、28に退院が決まると、看護師さんが来て退院後の説明や、次回の通院の事と入院費の事などの説明を受けたが、一番重要なのはベットを何時に開けるかが大切だったと思う。看護師さんには早く出ますと言った、日曜日だから外来がないから、ロビーで迎えが来るまでまってますと・・・・まあ、いつも次の入院待ちの人が居るのは知ってたし、病室で待つよりロビーの方がいいような気がした。
26日からは食事も普通食になりカロリーも上がった。シャワーに入り脱皮もしたが風呂に入りたかった。風呂は明日と言う事だった・・・・この日は忙しく自分では想定内だったけど、夜には熱が出たが病院の熱が出たは、38℃以上を言うのだろう、37℃台では平熱の内のようだ、夜の検温で37℃より下がったのは、25日とあと1日位だったような気がする。
27日は朝の点滴だけで点滴生活も終了!針も抜かれ午後には風呂にもつかり、退院に向けて病棟の一周125mを二周した、それだけでかなり疲れその日はそれ以上に動かなかった・・・・予想以上に体力が落ちていた・・・・・退院して大丈夫か心配になった。
28日は退院の日!朝食を終えると退院説明だが食べ終わるのを見てたのか、と言う位絶妙なタイミングで看護師さんが来たので、早くベットを開ける事にしたが、荷造りだけで大仕事で、休みながで時間がかかった、約一カ月分の荷物、大きな袋に3個あった。迎えの約束の時間は10時だったので、玄関で待つ事にしたが、荷物を2回に分けて運ぶか?一回で運ぶかが問題だったが、結局一回で運ぶ事に・・・・・まあ、2回運ぶ体力も自信もなかった。
本当に体力が落ちていた、階段で息切れしたから・・・・・。
迎えが来たので、車に乗ったが座ってるだけで疲れた。
まあ、人生初の入院生活がなんとか終わった。
退院時には、薬もなく1か月後に検査をして、経過が良好だったら,終診予定だそうだ・・・・重病?だった割にはあっさりしている。
もともと健康だったから、薬も出なかった。あとは体力の回復だけだが、気長に行きます。
今日は、今年一番の暖かさだったのでは・・・・
水芭蕉もいっきに伸びたような・・・・・
暑い日と、寒い日の差がありすぎです。
私ちょっと風邪気味です。
前の続き!
19.22日の検査が良好だったので、23日はドレナージをとる事に・・・・この頃は痛みも少なくなっていたので、取る時は痛いのでは?と思い、もう少しこのままでも・・・・とも思ったが先生が決める事、痛い時の事を考え声を出す練習をして静かに待った。取るのは手術室?と思っていたが、病室のベットで回診の時に取ります?って、思わず「ここで?」・・・・・「はい」で、保護テープを剥がすのですが、このテープがかゆくて粘着力もすごかったので、気持ちいいやら痛いやらで、抜きますよの時は痛みは全然感じませんでした。
せっかくの発声練習も無駄になったが、抜いたドレナージを見てびっくりした。自分の想像では固くて太いい針のようなもので、串刺しにされている気分だったのですが、テニスラケットのガットのような細くて柔らかい物だった。
取った後も、消毒をして絆創膏を貼っただけで、今までの痛みの割には簡単だった。点滴は4回のままだったが、管が取れたので行動は楽になったが、熱も出たので安静が続いたが、同時に週末には退院に?と初めて退院の言葉を聞いて、迎えの都合が気になった。
25.26日は消化器のカメラ検査で、下と上からカメラを入れられた。検査の前の日からの断食で、検査でやせました。26日の朝は採血で先生から異常がなければ27か28日のどちらでもと、そして風呂もOKに・・・・・何日ぶりかの風呂に浸かれると思ったがシャワーだけだった、それでも体からはかなりの物質がでた、風呂につかれなかったのが残念だった。退院は嫁の都合で28にお願いした。先生に「家が遠いので27日に退院なんて言わないでくださいね。」とお願いもした。
今日はここまで!