かたしな高原旅館組合で管理してます、「水芭蕉の森」、見頃を迎えています。
で、昨日のつづき!
10日の朝、予定より1日早い退院になった若い人に「良かったですね。」と声を掛けたら・・・・「元気そうに見えますけど、けっこう辛いんですよ・・・」と、言って一人暮らしのアパートに戻るとの事・・・・急に可愛そうになって、俺だったら迎えが来るまで待ってるのか?日赤は急に退院になるのかと思い怖かった。
でも今考えると、隣の若い人は差額を払い二人部屋だったので、お金もちの息子さんだったのだろうか?名刺交換しておいてよかった。・・・・・で、私もその日に私くらい重症の人が来たから・・・と言われ、大部屋の廊下側に移った。
6人の大部屋はまさに病院だった。私の他に痛みに耐えてる人が二人いて、3人が苦しみ組、一人はじいちゃんで反対側、日に日に体力が落ちて行くのが解ったが回復もわかった、隣は手術待ちで、残るは2泊3日の手術入院の人、ベットの開いた事はなく、退院の時はいつも次の人が隣の食堂でまって居るのが解った。
11日の朝は膿もだいぶ出て体もだいぶ楽になり、初めて栄養士さんが来て食事について話をした、牛乳とフルーツがつくようになり楽しみが増えた、ごはんは病人らしく全がゆを頼んで、寝たきりで背中が痛いと言ったら、腸のためにも少し歩いたら?と言われたので、点滴車を押しながら一周125mの病棟を3周した、また自分と同じ位の重症?の人を見たいと思ったが、見る事は出来なかった。3周しただけなのにどっと疲れて、熱も出て2日位動けなくなり先生に言ったら肝臓の重病感染症だから、動いてはだめだと言われ、なるべく寝ているようにした。
17日には10時間の栄養の点滴が外れて、お腹がすく感覚が鋭くなって、その時、「腹が減る」は胃に食べ物がなくなるからではなく、血液に栄養がなくなるからだと思った。腹が減るので先生につまみ食いをしていいかと聞いたら、肝臓に負担がかかるからダメと・・・・まあ食欲もなかったが肝臓病なのかと思うと寂しかった。抗生剤の点滴は1日3回のままで、終わった時に入れる点滴チューブの中が固まらなくなる注射が痛くて、看護師さんに毎回かわゆく「やさしく、いれて!」と、お願いすると笑いながらゆっくり注入してくれたが、毎回恐怖だった。
20日は15日目で同じ抗生剤は14日しか使えないとの事、新しい抗生剤を先生立ち会いで血圧を測りながら投与された・・・・・これは最初はしびれた、どこを流れているのかが解る位だったが、最初の5分で収まり先生は帰ってしまったが、もう少しいてほしかった。2回目からは何も感じなくなり、1日4回 6-12-612 って感じになり、点滴以外は放置状態になったが膿は出た。
今日はここまで!