新63『岡山の今昔』岡山城の築城(14~17世紀)

2021-11-11 22:06:46 | Weblog
新63『岡山の今昔』岡山城の築城(14~17世紀)

 まずは、その前史から、かいつまんで紹介しよう。岡山城は、南北朝時代に後醍醐天皇を船上山に迎えた名和長年の一族、上神高直が、正平年間(1346~1369)に石山に築城したのが始まりという。城地も、石山の自然の台地をそのまま利用した位だったのではないだろうか。


 その後、この地の豪族である金光氏の金光与次郎宗高が、石山に城砦を築く。それが、1573年(天正元年)に、上道郡沼城主であった宇喜多直家が時の城主金光宗高を謀殺し、石山の城砦に入城して城を大改築する。


 次に、今日見るような形での岡山城の姿とは、1594年(文禄3年)に、宇喜多秀家の家臣、角南隼人を普請奉行として修築が始まったのだという。いつ竣工したのかを伝える確実な史料は見つかっていないものの(一説には1597年)、天守閣について、こんな話がなされている。


 「岡山城天守はいわゆる複合式天守の典型的なもので、西方に塩蔵という二層櫓を付属させ、四層六階の極めて複雑な外観で、変化に富んでいた。
 一般に天守は五階が望楼の役目をするが、この天守は五階が望楼所で六階には祭神三体が祀られ、それを模しにという信長の安土城天守の最上階には何が祀られいたのであろうか。」(大類伸監修「オールカラー日本の名城」上巻、人物往来社、1968)



 17世紀に入ってからは、一風変わった構築物が岡山城本丸下段に構えられた、それが月見櫓であって、二重二階・一部地階の隅櫓だ。元和年間から寛永9年(1615~1632)にかけての建造だという。その時代の藩主・池田忠雄は、1610年(慶長15年)に幕府より淡路洲本6万3000石を与えられたが、1615年(元和元年)、兄忠継の死により岡山藩31万5000石を相続した人物だ。

 その月見櫓だが、名前からして秋の月見をしている、魅惑的な景色を感じるのだが、その土台部分の石垣天端に小さな凹面が彫り込まれていて、「石狭間、笠石銃眼などと呼ばれるもので鉄砲狭間の一種」(中井均「新編、日本の城」山川出版社、2021)なのだと解説される。


(続く)

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新8『岡山の今昔』岡山の山(中国山地)

2021-11-11 10:37:13 | Weblog
新8『岡山の今昔』岡山の山(中国山地)

 まずは、この辺りの山の形成を振り返ると、極大まかにはどのようであったのだろうか。
 現在では、そもそも海底で山地なりが形成されていたのが、プレートの移動と相俟って隆起してユーラシア大陸の東端に張り付いていたところ、その一部が、新生代の新第三紀(約2303万年前から533万3000年前)中のおよそ中頃のある時期(一説には、2000万年前、別の説では1500万年前とも)に、大陸から離れて弧状列島になったのではないかと考えられている。
 その時には、両者の間に海ができた。その海がだんだんに広がっていく。それだけではなく、その前の大陸縁の南西部は九州西部付近を要として時計回りに回転して西南日本になる一方、東北部は反時計回りに回転して東北日本になったという。
 このような日本列島の回転がいわれるようになったのには、現在の日本列島各地において、岩石が獲得した地磁気の方向を調べたところ、ほぼ1500万年前前後を頃を境にして、代の古地磁気の方向がどこでも異なることからわかったことがあるという。

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 そのことはさておき、岡山県の最高峰とされているのは、後山から船木山、駒の尾山(こまのおやま)辺りと見えて、「後山連山」とも言い慣わされる。
 その延長で暫く西へ向かえば、那岐山があって、この辺りまでは「氷ノ山後山那岐山国定公園」の峰続きとなっており、まさに壮観だといえよう。


 次に見えてくるのが人形仙(にんぎょうせん)で、この山は、鏡野町上齋原にあって、鳥取県にまたがる。 山頂からは、南西には津黒山、北東には三国山とある、そのほぼ中間にある。名前が一風変わっているのは、江戸時代の「伯耆民諺記」に登場する人形仙越に由来するという、この宿は、倉吉・三朝のある東伯耆と津山を結ぶ「津山往来・伯耆往来」の一つだったことからだという。


 それからも休む間も無くというか、さらに西へ行っての新庄(しんじょう、真庭市)の毛無山(けなしがせん)は、鳥取県にまたがる、大山隠岐国立公園の一部を成す。こちらの山頂から北東へは、大山(だいせん) の南壁、右へは三平山(みひらやま)、蒜山の三つの山へとつながっていく。天候が良ければ、壮大な景色を満喫できるとのこと。

 この山については、かねてから登山やトレッキングで人気があるようで、例えば、こんな風に紹介されている。

 「岡山と鳥取の県境に位置する毛無山は、両県から登山道があり、360度の展望と尾根を彩(いろ)どるカタクリの群落などで人気の山だ。
 俣野川(またのがわ)を挟んで15km(キロメートル)先にある大山をさえぎるものはまったくない。
 特に鳥取側の四号目にある展望台からは、俯瞰(ふかん)するように谷底の集落が眺められ、山裾から中国地方の最高峰、伯耆(ほつき)富士頂稜まで見渡せる絶好のビューティーポイントだ。タタラの痕跡(こんせき)やブナの森を楽しめる、白馬山(はくばやま)を周回する岡山県側からのコースもよいが、大山展望をメインにするならサージタンク広場から登るコースがオススメ。」(写真と文は岡本民治氏、山と渓谷社「山と渓谷」2021年8月号)に所収から引用)


 なおも西へ向かえば、剣山(けんざん)を経て花見山(はなみやま)が見えてくる。これでもって、かれこれ岡山県の北西、新見市千屋花見(ちやはなみ)まで来たことになろう。この辺りは、鳥取県日南町にまたがり、1000メートル級の八つ8連山の最高峰(1188メートル)とのこと。
 山の概要あるや、どっしりち構えて見える。山頂には、一等三角点が設置されているという。そこからの展望だが、南西には三国山、北の向こうに伯耆大山、そればかりか天候が良ければはるかに目を凝らすと島根半島やら隠岐の島まで眺められるという。


(続く)


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