211の38『岡山の今昔』岡山人(20世紀、尾崎小太郎)
尾崎小太郎(1910~1991)は、衣服関係の実業家だ。四国の讃岐(現在の香川県)の生まれ。
いつ頃からだろうか、自分も被服を作って売ろうと考えていたようだ。
そんな意思を持つようになったのには、児島が岡山繊維業の伝統産地であることが大いに影響してのことだろう。
1940(昭和15年)年、尾崎は、児島(現在の倉敷市児島)に縫製業を立ち上げる。学生服・作業服などを縫製する「マルオ被服」(現在の「株式会社ビッグジョン」の元々の前身)。
戦後は、1957年に衣料品の輸入が解禁されるや、新たな動きを見せる。翌年から、アメリカ製の中古衣料の輸入販売を始める。その中でも、ジーンズの受託販売に並々ならぬ情熱を傾けていく。
1960年(昭和35年)には、会社を「マルオ被服株式会社」として法人化する。翌1961年(昭和36年)には、香川県詫間町に大浜工場を設置する。
1965(昭和40年)からは、念願のジーンズの生産を開始する。国産初のジーンズのファーストモデルを発表した模様だ。
1967(昭和42年)には、「ビッグジョン」ブランドを立ち上げる。そこでの生地のほぼすべては輸入物であったようだ。このブランド名だが、小太郎すなわちリトルのジョンではなかろうということで、ジョンの頭にビッグを被せた、という。
1973(昭和48年)には、「純国産ジーンズ」の生産を始める。その頃の国内には、かなりの同業他社が同様の取り組みを準備するなりしていたことだろう。
(続く)
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尾崎小太郎(1910~1991)は、衣服関係の実業家だ。四国の讃岐(現在の香川県)の生まれ。
いつ頃からだろうか、自分も被服を作って売ろうと考えていたようだ。
そんな意思を持つようになったのには、児島が岡山繊維業の伝統産地であることが大いに影響してのことだろう。
1940(昭和15年)年、尾崎は、児島(現在の倉敷市児島)に縫製業を立ち上げる。学生服・作業服などを縫製する「マルオ被服」(現在の「株式会社ビッグジョン」の元々の前身)。
戦後は、1957年に衣料品の輸入が解禁されるや、新たな動きを見せる。翌年から、アメリカ製の中古衣料の輸入販売を始める。その中でも、ジーンズの受託販売に並々ならぬ情熱を傾けていく。
1960年(昭和35年)には、会社を「マルオ被服株式会社」として法人化する。翌1961年(昭和36年)には、香川県詫間町に大浜工場を設置する。
1965(昭和40年)からは、念願のジーンズの生産を開始する。国産初のジーンズのファーストモデルを発表した模様だ。
1967(昭和42年)には、「ビッグジョン」ブランドを立ち上げる。そこでの生地のほぼすべては輸入物であったようだ。このブランド名だが、小太郎すなわちリトルのジョンではなかろうということで、ジョンの頭にビッグを被せた、という。
1973(昭和48年)には、「純国産ジーンズ」の生産を始める。その頃の国内には、かなりの同業他社が同様の取り組みを準備するなりしていたことだろう。
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