↑ 講談社文庫『ムーミン谷の冬』より
極夜が終わったころ、
食べるものがなくなってムーミン谷にやってきた
小さな痩せ犬の話。
(極夜とは1日中太陽が昇らないことで、
北極圏では11月末から1月半ばまで続く)
ぼうぼうの毛糸の帽子を目の上までずりおろし
あんまり苦労したので顔中しわだらけの犬。
名前はめそめそ。
淋しがりやのめそめそには、願いがひとつある。
「たましいの兄弟」であるおおかみの群れと
いっしょに狩をしたり、遊んだりすること。
自分はおおかみの仲間に入れてもらえると思っている。
めそめそは毎晩、森を抜け、おさびし山をのぞめる場所に歩いて行っては
遠くで聞こえるおおかみの鳴き声に呼応するように鳴くのだ。
犬の遠吠えというのをご存知だろうか?
うちの小さいチワワ犬も、
パトカーがサイレンを鳴らして通ると
そのサイレンの音に呼応するように遠吠えをする。
ワォーンという感じ。
「やんなくていいから」と言って聞かせるけど
吠えるのがうれしいみたいなのだ。
同じようにめそめそも、おおかみの声が聞こえると
遠くても近くてもワオーンと遠吠えをして答える。
ムーミン谷に来ていらい、ずっとそんな夜を送っていた。
ところでお騒がせ男のヘムレンさんは、
自分は犬が好きで、犬のほうでも自分を慕ってくれる、
そういう犬を飼いたいと思っていた、とめそめそに言う。
めそめそのほうには、そんな気はないらしい。
何しろ好きなのはおおかみなのだから。
吹雪がおさまった日の夜。
めそめそは苦労していつもの場所に行き
かなわぬ夢に身もだえしながら、星空に向かって吠え立てた。
すると
おおかみたちが答えたのだ。
すぐ近くで鳴き声がした。
おおかみたちはめそめそのまわりに、ぐるっと輪をかいて立っていた。
何も言わずに黙ったままで。
その輪がだんだん狭くなってくる。
めそめそは自分が間違っていたことを悟った。
おおかみと友だちになんてなれっこない。
はっきりわかった。
自分は食べられるのだ!
そのとき、
ヘムレンさんのラッパが突然近くで鳴り響いた。
はい虫のサロメちゃんをリュックのポケットに入れて、
おさびし山に移動中のヘムレンさん。
いつものようにラッパを吹き鳴らしながら
たまたまそこを通りがかった。
そして、すんでのところでめそめその命を助けたというわけ。
だから、めそめそはヘムレンさんについていくことにした。
それが正しいことだと思ったからだ。
さてこの話の教訓は、現実の知識がないまま
危険なゆめに突っ走るのはよくない。
…ということではないと思う。
トーベ・ヤンソンだもの。
そんな1+1=2 というような教訓話のために
この話を書いたりはしないと思うのだ。
なんともタイミングよくヘムレンさんが現れて
めそめそが救われた!!
その一点が大事なのだと思う。
だって、そんな途方もない夢を見るなといっても
すでに抱いてしまった夢を見なくすることができるだろうか?
押さえ込む?
分別を働かせ、そんなの無理よと自分に言って聞かせる?
だれだって「おおかみ? それはやめたほうがいい」とめそめそに言う。
おおかみと仲間になるなんて、ありえないから。
だけど、夢見てしまうものは仕方ない。
そういうことは人生、往々にしてあるだろう。
痛い目を見て、後悔するわけだ。
しかし、このムーミンの物語では
ヘムレンさんが、すんでのところでひょいっと助けてくれた。
本人は自分のラッパがめそめそを助けたなんて、少しも気づいちゃいない。
そして読者にもたらされるのは
「よかったー」という喜びと、「大丈夫だった」という安心感。
だからちょっとだけ幸せな気分になれる。
この話のへそはそこにあると思うんだけど。