サラ☆の物語な毎日とハル文庫

一日暮らし(いちにちぐらし)→注・その日暮らしにあらず

 

こんにちは!

夜中からの雨も午後になり、ようやく止んだようです。

 

今日の話題は、鎌倉にある円覚寺の館長、横田南嶺老師の「日曜説教」からです。

「一日暮らし」(いちにちぐらし)というお話。

 

これは正受老人(しょうじゅろうにん)という偉い方が書いた文章の一つなのだとか。

なかなか心に残る文章なので、ご紹介させていただきます。

文語体で書かれています。ちょっと読みづらいかも。

(少し読みやすく書いてます。また()内は老師が説明されたことです。)

 

 

『一日暮らし』

 

或る人の話に、吾れ世の人というに、

『一日暮らし(いちにちぐらし)というを工夫せしより、精神すこやかにして、また養生の要を得たり』と。

(一日暮らしという考え方で過ごしたら、心もさわやかになり、身体のためにも養生になった)

如何となれば、一日は千年萬歳の初なれば、一日よく暮すほどのつとめをせば、

その日過ぐるなり。

(どうしてかというと、一日というものは、千年、万年という長い年月であっても、その始まりの一日。

その一日をよく暮らしていれば、その日を充実して過ごすことができるのだ。)

それを翌日はどうしてかうしてと 又あひても無き事を苦にして、

しかも翌日に呑まれ、その日怠りがちなり。

(ところが、人間というものは翌日のことを考える。翌日のことを、取り越し苦労をしてしまう。

そうすると、その日のことがおろそかになり、無駄になってしまう。)

ついに朝夕に至れば、又翌日を工夫すれば、全たいにもちこして、

今日の無きものに思うゆえ、心気を遠きにおろそかにしそろ也。

(明日があるから今日はこのぐらいでいいだろうと思う。

そういうことが毎日続くと「今日一日」という意識までもなくなってしまう。

翌日に持ち越してしまうと、今日のことがおろそかになってしまう。

先の事ばかり考え、今日一日に対して、緊張感というものがなくなってしまう。)

とかく翌日の事は命のほどもおぼつかなしというものの、

今日のすぎはいを粗末にせよというではなし。

今日一日暮す時の勤めをはげみ つとむべし。

(明日やればいいといっても、その明日があるかどうかは、誰にもわからない。

かといって、明日がわからないのであれば、

今日はどうでもいいやと投げやりになるのではなく、

今日一日のことをしっかり勤め励むべきなのだ。

今日一日の勤めだけを一生懸命やるべきなのだ。)

いかほどの苦しみにても、一日と思えば堪えやすし。

楽しみもまた、一日と思えばふけることもあるまじ。

(どんなに辛いことがあっても、今日一日の辛抱と思えば、人間は堪えることができる。

逆に、どんな楽しいことがあったとしても、今日一日だと思えば、

それ以上にその楽しみにおぼれてしまうこともないのだ。)

愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思うゆえ也。

一日一日を思えば退屈はあるまじ。

(世間の人が親孝行をしないのは、人生、先が長いと思うから、

そのうち孝行すればいいやと、ついつい甘えてしまうからだ。

どんなことでも、今日一日が自分の一生なのだと思って過ごせば

仏道の修行、あるいは親孝行でも、おろそかになるなんてことはないだろう。)

一日一日とつとむれば百年千年もつとめやすし。

なにとぞ一生と思うからに大そうなり。

(今日一日、今日一日と思って努力していけば、それが百年なり千年になる。

長い一生やらなければいけないと思うから、大そうなことと考えてしまう。)

一生とは永い事と思えど、後の事やら、翌日の事やら

一年二年ないし百年千年の事やら、知る人あるまじ。

死を限りと思えば、一生にはだまされやすし。」と。

(一生はどのくらいか、誰も知らない。終わりがくるのは、いつのことやらわからない。

もしかしたら明日かもしれない。一年後か、百年後か…。

まだしばらく生きているのだろうと思うと、今日一日がおろそかになってしまう。

しかしそんな保証は誰にもないのだ。)

一大事と申すは、今日ただ今の心なり。

それをおろそかにして翌日あることなし。

(人生の中でもっとも大切なのは今日のこの心である。

今日の心をおろそかにして、明日があるということはない。)

すべての人に、遠き事を思いて謀ることあれども、

的面の今を失うに心づかず。

(世間の人というのは、遠いことばかりを考えているけれど、

大事なたった今をおろそかにしてしまっていることに気づいていないのではないか。)

 

というような内容でした。

なんだか国語の授業のような気がしてきましたねー。

なんにしても、いま呼吸をし、生きている、この今の時間を大切にし、それに没頭すること。

昨日への後悔や、明日への心配に乗っ取られて、今日、たったいまを失ってはいけない。

いまという時間に集中するべし。それが大事なんだよという教えでした。

 

 

 

円覚寺館長の「日曜説教」はオンラインで、ライブ配信されています。

毎月一回なので、興味を覚えた方は、アクセスしてみていただけたら、

楽しいかなと思います。

 

ちなみに、同じく横田南嶺老師による「毎日の館長日記と呼吸瞑想」は毎朝更新されています。

 

たまたま、今日の午前が「日曜説教」のライブ配信でしたので、ちょっと紹介させていただきました。

ときには仏の心に触れてみるのも、新鮮な感じがするかもしれません。

思わぬ気づきもあるかと思います。

それから、不謹慎かもしれないけれど、横田老師の頭の形の良さに、ホレボレしてしまいました。

 

さて、もう夕方の時間になりましたけれど、

素敵な夜をお過ごしください!

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