立つ鳥、跡を濁さず…心がけることは大切ニャ。老若男女問わず、去り際に不快感を与える人物は好きになれないと思う今日此の頃ニャ…。
立つ鳥、跡を濁さず…心がけることは大切ニャ。老若男女問わず、去り際に不快感を与える人物は好きになれないと思う今日此の頃ニャ…。
中世後期において、使徒パウロの言葉を浅慮な解釈をしてしまい、典礼での多声の声楽では高音域のソプラノやアルトも全て男声が歌うことになってしまいました。始めは声変わりをしていない少年たちに歌わせていましたが、旋律が精巧になり高度な技術と円熟した音楽性が必要になると、カウンターテナーのソプラノとアルトのスペイン人歌手たちが登場しました。その特別な歌唱法をスペイン人たちはムーア人から学び、彼らは歌唱法を秘密にして教会音楽における地位を独占することに成功していました。しかし、十六世紀の終わり頃ローマ法王庁聖歌隊の空席を埋めるためのオーディションが行われた時、スペイン人のフェルセット歌手たちとは異なる特別な音色のイタリア人歌手が現れました。このイタリア人歌手の特別な音色・響きは法王クレメンス八世を魅了し、聖歌隊に採用されることになりました。それによりスペイン人歌手たちの独占状態の終わりを告げ、カストラート歌手の隆盛が始まりました。イタリア人でペルージャ出身の優れたソプラノ歌手ジローラモ・ロジーニ、たった1人の歌手によってカストラートの時代が始まるとは…と思う今日此の頃です。
知識は叡智を得るための手段であって目的ではないとしばしば感じます…論語読みの論語知らずになってしまう人が…。そして知識自体は道徳的感情に影響されるものだと考える今日此の頃です。
Da una rapa non si cava sangue...有り体に言えば何事も才能が重要な鍵と思う今日此の頃ニャ…知力、性格も大切だけどニャ~…。
昨今様々な媒体でいろいろな情報を知ることができるニャ…でもそれらをすべて鵜吞みにしたら…essere la testa di rapa…になると感じる今日此の頃ニャ。
La mela non cade mai lontano dall'albero.…子は親を映す鏡…親は子の鑑とも言われているような…と思う今日此の頃ニャ…。
楽譜は数式、公式、詩、格調高い文章のように様々顔を見せているように思います…だから、心耳心眼でそこにある謎、意味、理由、法則、理論、深意などをいろいろな分野をヒントに探究して、理解して、解釈していきます。その結果、自分自身の表現が創造され、伝統に由来する、個性豊かな表情が現れると考えます。クラシック音楽はとても自由なものだなと思う今日此の頃です。