心の友の1つとしては書物だと感じます。書物自体の生命と思想と価値は全く変わらないと思います。自分自身の姿勢と態度で書物のそれらが変化していくと考える今日此の頃です。
心の友の1つとしては書物だと感じます。書物自体の生命と思想と価値は全く変わらないと思います。自分自身の姿勢と態度で書物のそれらが変化していくと考える今日此の頃です。
外国語の上達ために必要なことの1つに文法用語を正確に把握することが重要だと思うことがあります。イタリア留学時代に、語学の先生のもとでイタリア語のさらなるスキルアップのために学んでいる時に、文法用語の正確な認識を助言されたことを記憶しています。文法用語を的確に把握していると、その言葉や単語自体の働き、文章においての連結のさせ方や仕組み、非常に長い文章の読解などの様々なことをオートマチックに、スムーズに理解し使用することが可能になると思います。それと同時に国語の能力の向上も必要不可欠になると考えます。その文法用語自体の文字がわかったとしても、意味、作用、仕組み、活用の仕方などの多岐にわたることを理解していなければ全く役に立たないように思います。それはその外国語で文法用語を覚えたとしても…。母国語で文法用語による言葉の認識や活用がスムーズであれば、そのシステムを学んでいる外国語に利用でき、また比較検討もできると思います…。
外国語を学ぶときは1つでも多くの習得のための手段を持っているほうが良いと思う今日此の頃です。
漢字は使用開始当初、話す言葉の異なる異民族同士が商売する際にコミュニケーションをとるための方法として用いた単なる便宜的な記号であったと言われています。それが日本で様々な変化や進化をして必要不可欠な文字や言葉になるとは非常にミステリアスものだと感じる昨今です。
原語の文章を理解できることは大切だと思います。筆者の伝えたいことをあるがままに解釈できることは大変心地よいものです。時には大変誠実な翻訳者であっても、その人物の主観や意図が含まれる可能性があるかもしれないと考えます。…そう考えると複数の語学を学ぶことはとても有益のように思う今日此の頃です。
語学を活用できるようになるためにはリーディング能力が大切と感じます。例えば聞いた外国語を瞬時に理解できるから、もしくは言っていることは分かるが内容が瞬時に理解できないということを解決するからです。前から語順通りに文を読んで、静止している文章を瞬時に理解する能力は話す・書く・聞くの能力につながると考えます。学生時代に師事した外国語の日本人の先生たちが前から語順通りに読むことを助言してくれたなぁとしばしば回想する今日此の頃です。
「前から前から」が語学を活用できるようになるためのポイントであると常々思います。端的に言えば、例えば文章を読む時に語順を変えないということです。このポイントが、例えば英語を英語のまま理解する、つまり外国語を外国語のまま理解して解釈するにつながるのだろうとしばしば感じる今日此の頃です。日本語でも同じかなと思う昨今です。