フィレンツェの音楽構造がローマでその構造がさらに進化することになりました。文章で描かれる世界の感情や情熱を人の言葉の表現力を活用しながら感動させる歌唱法という原則は受け継がれました。しかし、バロック期は時代が進むにつれて、豊かな想像力、強い感動、揺れ動く熱情などをさらに深く表現するために、音に対する言語の優位から言葉に対する旋律の優位に変化していきました。美しい旋律が人の心により感動を与えると認識していきました。そして、文章により言語の総合的な力を求めました。音楽で表現する際に様々な効果の得られるもの、例えば文学的価値、演劇的インパクト、多様な韻律などを…。言葉と音楽が公平な、対等な関係性に変化していった時代なのだなと感慨深くなる今日此の頃です。
フィレンツェの音楽構造がローマでその構造がさらに進化することになりました。文章で描かれる世界の感情や情熱を人の言葉の表現力を活用しながら感動させる歌唱法という原則は受け継がれました。しかし、バロック期は時代が進むにつれて、豊かな想像力、強い感動、揺れ動く熱情などをさらに深く表現するために、音に対する言語の優位から言葉に対する旋律の優位に変化していきました。美しい旋律が人の心により感動を与えると認識していきました。そして、文章により言語の総合的な力を求めました。音楽で表現する際に様々な効果の得られるもの、例えば文学的価値、演劇的インパクト、多様な韻律などを…。言葉と音楽が公平な、対等な関係性に変化していった時代なのだなと感慨深くなる今日此の頃です。
フィレンツェのカメラータはプラトンの音楽の概念を新しい音楽でさらに深めようとしました。言葉の内容に従って音価を創造する、つまり演奏家が速度の度合いをコントロールしたり、音楽のフレーズの旋律的ラインをさらに表情豊かにしたりしてポリフォニーで厳格に守られていたリズムや速度を解放した歌唱法を目指しました。そして、雄弁術における美辞学的色彩を取り入れて、母音唱法や装飾音のパッセージを活用して変化に富んだ快い歌唱法も加えました…。さらにスプレッツァトゥーラの原則が加わり音楽の根本が明確になっていたのだなと思う今日此の頃です。
フィレンツェのカメラータはモノディーで人間の言葉の表現力に従うための歌唱法を目指していました。そして、音楽は言葉、リズム、音の順であるというプラトンの音楽の概念の立場に立っていました。言葉の内容を表現する感情や情緒は言葉から始まると主張して、言葉の音価を音楽に再び取り入れました…。このことがレチタール・カンタンドの美学の基盤になったのだなと感じる今日此の頃です。
Chi si assomiglia si piglia...だから、自分自身の教養をより高め、常に襟を正すことを心がけることが大切と思う今日此の頃ニャ。
ポリフォニーの声楽は快さと優美さを求める歌唱法を歌声の理想としていました。アジリタ、トリル、母音唱法などを軽やかに口から流れ出す技法が快い歌唱法でした。そして音価を縮小する、つまり長い音符を短い音符にアレンジ演奏していく技法が優美な歌唱法でした。この2つの歌唱法に従い、言葉の意味を表現したり音の色彩や音量を変化させたりするのではなくシンプルな音響効果を目指した声楽技法を用いたのがポリフォニーの声楽でした。
Chi mente ruba...確かにこのような人物は不道徳なことを容易に行ってしまう…という先人の教訓だと感じる今日此の頃ニャ。
バロック音楽は歌唱の表現力の可能性を最大に引き出そうとしました。なぜならベルカントが出現したバロック時代は非現実的な世界を音楽で表現しようとしたからでした。バロック音楽は性的曖昧さ、叙情的で優雅で官能的な旋律、アジリタや装飾音などを駆使した曲芸的技術などの芸術的好みがありました。それらを完璧に表現するにはカストラートの存在が必要でした。彼らの歌声は男女両性の声を具有した音色を持っていて、そして架空のような、男女の区別のない響きを生み出していました。また、胸郭や肺が非常に発達していたために力強い響きと息の長さもあり、声楽的に並外れたことが可能でした。そして、ベルカントは音色の奇想、色彩とニュアンスの多様さ、技巧の複雑さ、叙情の激しい熱情などで独特な発想を引き起こす歌唱が目的でした。バロックの時代の音楽には神話上の、歴史上の英雄のような趣を感じる今日此の頃です。
ベルカント唱法は歌声の無限の多様性を求めて発展していきました。そのために叙情的な様式と華麗な様式の2つの歌唱法を探究しました。叙情的な様式は哀愁を帯び、田園詩的で感傷的な表現をし、響き、色彩、アクセントの美しさを目指した唱法で音色の様式化をしました。華麗な様式はアジリタ、母音唱法、繊細な装飾音を駆使して感情や激情を表現することを基盤に置いた唱法で技巧の様式化をしました。声楽家の意志に応じて、歌声の響き、色彩など様々な変化を自由自在に操り、いろいろな思いや感情を伝える方法がイタリアのベルカント唱法なのではと感じる今日此の頃です。
近代のある学者が民主主義の体制が長く続くと人の素養や品性などが劣化すると述べていたことをおぼろげに思い出すニャ。そういう観点もあるのかもねと思う今日此の頃ニャ。