まっしゃんの雑事記

 日々の興味のある出来事などを、気ままに書いていきたい。
特に、郷土史には力を入れたい。

#梅雨末期

2020年07月06日 | 日記
 (画像、共同通信社)先日、熊本県球磨川流域で洪水が発生し多大な被害が出た。
被災者の方々には心よりお見舞いもうしあげたいです。さて、前回のブログでも触れましたが今回は磯城郡川西町での水害のこぼれ話を書きます。
3、水つき(水害)考 
大和川西は、昔よりヒヤケ(干ばつ)一番ミズツキ(水害)一番と言われました。町の北を流れる大和川と南を流れる寺川、西には曽我川と飛鳥川と周囲河川に囲まれミズツキとの闘いが繰り返されました。今も残る町内結崎東側の天理市と接する所と唐院地区の南側に水請け堤防が作られ決壊時の水からの守りとしました。請堤につては後日詳しくやります。今回はこぼれ話ということで結崎の井戸地区で聞いた伝承を書きます。
 井戸地区の北東に小さな弁財天社(通称べんてんさん)が祀られております。その弁天さんまつわる話で、元々この弁天さんは昔隣地区辻地区内富井氏本家の屋敷内に祀られていました。いつの頃か(江戸後期頃か?)わかりませんが、結崎がミズツキに襲われたとき、その祀られていた弁天さんの祠が富井氏の屋敷から井戸地区の当地に流れ着いたらしいのです。そこで、井戸地区の住民は"おがみやさん”に頼み弁天さんに処遇をお伺いをしたそうです。弁天さん曰く「帰りたくない、此処に祀れ」と仰ったので当地に祀られ現在に至ります。ちなみに、流れ着いたという場所は北垣内の"あがりやま″と呼ばれいる場所です。「弁天さんの川流れ」と言って全国に祀られいる弁財天には川を流れてこられたという伝承を持つ社が多数ありますが、昔此処井戸地区の人々が弁天さん(インドの神サラスヴァティー)の由来を偶然にも知っていたのは驚きです。以上ミズツキにまつわるこぼれ話でした。