私のブログは、いつも昭和臭くなるのだが今回もその路線で。さて、私の子供時代の昭和40年代の頃の我が家では「焼肉」という言葉はなかった。その代わりに我が家では焼きどり(串は無い)である。我が家は米作農家なのでくず米(小米)ができるので、卵採りにニワトリを飼っていた。お祭りや知人や近所の人が集う行事あると「ニワトリつぶそか!」との声に、飼っているニワトリを捌いて肉にする。カンテキ(七輪)やガスコンロを用意し鉄板かすき鍋を載せて鶏肉を焼き、アジシオを付けてシンプルに食う。大体雌鶏だからお腹に卵を持っていて、そのヒモダマ(玉ひも)が私の好物だった。ある時、近所のおじさん達と我が家で宴会の準備中ニワトリをつぶそうとした際に、首をはね損ね、首をだらりと引きずってニワトリが逃げ出したのを目撃した。後日それがトラウマになり長い間鶏肉を食べられなくなってしまった思い出がある。「じゃあ牛は食わなかったのか?」いいえ、親父はホルモン焼きが大好きで、ニワトリを飼わなくなくなった昭和43、4年頃からは、鶏肉代わりにホルモン(田原本町鶴屋さんの肉)を焼いたのが我が家での焼肉(ホルモン焼きといった)の始まりである。以上が我が家の昭和の焼肉の思ひ出である。
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