日本では昔から、数え6歳の6月6日にお稽古を始めると上達する、といわれています。
6という数を片手の指を折って数えるとき、小指が立つ、つまり「子供が独り立ちする」、ということだそうな。
それに対し、西洋音楽の世界では、3歳、一部のかたが言うには2歳からスタートしていないと間に合わない、という慣習があります。
2歳2か月では、まだお稽古ごとは早いとは思いながら、家にくるお客様を前に、すぐカラオケを持ってきて、なんか歌おうか?と自分から歌を披露しているお調子者の姿をみると、これも派手な性格だわ、、、と思いながら、何かお稽古ごとを始めたたほうがいいかしら、、と、頭を悩ませているところです。
今日は幼稚園の園長先生からお話を聞く機会がありました。
77歳とは思えないご講演で1時間半、たっぷり、子供さんに対する愛情と脳の発達に対する研究や指導法をお話してくださいました。
日本の諺では、三つ子の魂 百まで、とありますが、西洋では5歳までに一生分の学習を終えてしまっている、という諺があるそうです。
さらに、これに反する形で、私が関心を持っているシュタイナー教育では、7歳までは、文字を見せないそうです。
文字によって、小人さん、妖精さんなど、目に見えないファンタジーを失ってしまうからだそうです。
音楽を取り入れるなかで、私の買ったライアーという楽器も取り入れています。
繊細な、美しい音色に耳を傾ける、ということは、この雑音、騒音が響く社会でいきている子供たちには、とても必要だと感じます。
確かに、自然のなかに、説明書きなどの看板があると、すぐ目がそちらにいって、美しい景色を「感性」だけでは観れなくなってしまいますよね。
小学校入学前までは、この、夢の世界に、どお~っぷりと漬かるということなのでしょう。
ところが、小学校に入ると、普通のお子さんより、文字というものを観なかったわけですから、遅れをとるどころか、ものすごく集中して学びたいという欲がでてくるそうです。、、もちろん個人差はあるでしょうし、シュタイナーについて否定的な意見もあるわけですから一概に言えませんが、、。
私も、幼稚園の頃は、小児ぜんそくで寝ていることが多くて、幼稚園はほとんどいかず、気分のいいときは、庭や畑で草木、虫たちと遊んでいましたし、文字に触れた教育は幼稚園を休んでいたため、ほとんどその時期には受けていません。
その思い出を考えると、自然なままのシュタイナー教育の状態だったのかもしれません。母が送ってくれる絵本とおばあちゃんが歌う子守唄、おばあちゃんから聞く昔話、戦争の話しなど。いわゆる、おもちゃ、という既製品はほとんど身の回りに無く、東京にいた父に手紙を書いて、お人形を送ってほしい、と頼んだものでした。
本当に、親になるのは、子供の模範生でいなければいけないし、、、難しいものです。
お稽古云々より、まずは、私がよい見本であることが、親子で始める最初の一歩、ということでしょうか。
リトルが、玄関で、私の靴まで揃えている、、、こりゃ、いかん!汗、汗、汗、、、、でした。
6という数を片手の指を折って数えるとき、小指が立つ、つまり「子供が独り立ちする」、ということだそうな。
それに対し、西洋音楽の世界では、3歳、一部のかたが言うには2歳からスタートしていないと間に合わない、という慣習があります。
2歳2か月では、まだお稽古ごとは早いとは思いながら、家にくるお客様を前に、すぐカラオケを持ってきて、なんか歌おうか?と自分から歌を披露しているお調子者の姿をみると、これも派手な性格だわ、、、と思いながら、何かお稽古ごとを始めたたほうがいいかしら、、と、頭を悩ませているところです。
今日は幼稚園の園長先生からお話を聞く機会がありました。
77歳とは思えないご講演で1時間半、たっぷり、子供さんに対する愛情と脳の発達に対する研究や指導法をお話してくださいました。
日本の諺では、三つ子の魂 百まで、とありますが、西洋では5歳までに一生分の学習を終えてしまっている、という諺があるそうです。
さらに、これに反する形で、私が関心を持っているシュタイナー教育では、7歳までは、文字を見せないそうです。
文字によって、小人さん、妖精さんなど、目に見えないファンタジーを失ってしまうからだそうです。
音楽を取り入れるなかで、私の買ったライアーという楽器も取り入れています。
繊細な、美しい音色に耳を傾ける、ということは、この雑音、騒音が響く社会でいきている子供たちには、とても必要だと感じます。
確かに、自然のなかに、説明書きなどの看板があると、すぐ目がそちらにいって、美しい景色を「感性」だけでは観れなくなってしまいますよね。
小学校入学前までは、この、夢の世界に、どお~っぷりと漬かるということなのでしょう。
ところが、小学校に入ると、普通のお子さんより、文字というものを観なかったわけですから、遅れをとるどころか、ものすごく集中して学びたいという欲がでてくるそうです。、、もちろん個人差はあるでしょうし、シュタイナーについて否定的な意見もあるわけですから一概に言えませんが、、。
私も、幼稚園の頃は、小児ぜんそくで寝ていることが多くて、幼稚園はほとんどいかず、気分のいいときは、庭や畑で草木、虫たちと遊んでいましたし、文字に触れた教育は幼稚園を休んでいたため、ほとんどその時期には受けていません。
その思い出を考えると、自然なままのシュタイナー教育の状態だったのかもしれません。母が送ってくれる絵本とおばあちゃんが歌う子守唄、おばあちゃんから聞く昔話、戦争の話しなど。いわゆる、おもちゃ、という既製品はほとんど身の回りに無く、東京にいた父に手紙を書いて、お人形を送ってほしい、と頼んだものでした。
本当に、親になるのは、子供の模範生でいなければいけないし、、、難しいものです。
お稽古云々より、まずは、私がよい見本であることが、親子で始める最初の一歩、ということでしょうか。
リトルが、玄関で、私の靴まで揃えている、、、こりゃ、いかん!汗、汗、汗、、、、でした。