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 増田 いずみ ~ OFFICIAL BLOG

四天王寺ワッソ

2008年10月20日 | masudaizumi.com
そういえば書き忘れていたことがありました。

今年11月2日の四天王寺ワッソのお祭りの内容です。
ファンクラブの皆様へ送っているメルマガでは、先月28日、以下の文を掲載しました。ファンクラブの方はご了承くださいませ。

まだまだ勉強不足で、いただいた資料を読みながら、なんとか書き上げたのですが、長くなってしまってごめんなさい。最後までたどりついてくださるかしら。。。







「ワッソ」とは現代韓国語で「来た」という意味です。
千数百年以上も前から海を越え、多くの人びとがやってきては繰り広げられた交流を再現するにあたり、「来た」という言葉を祭りの名称にしたそうです。

毎年秋に催されるパレードでは、いろんな国々から訪れた使節団、彼らを出迎える日本の偉人たち、千人近い人びとが古代衣装を身にまとって所狭し、なにわの宮跡公園を練り歩きます。華やかな舞姫と楽隊、子どもたちのプンムルノリ(舞と演奏)は圧巻だそうです。音楽も衣装も時代考証されていて、このお祭りで、当時のままを観ることができるのです。

私の出演する場面は、本年5月に奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮跡、滋賀県甲賀市の信楽で発見された万葉木簡にちなんだ企画で、当時を再現した歌会が催されます。

この木簡の和歌は、実は4500種類もの和歌を収録している万葉集のなかの一つの歌であったのですが、木簡として発見されたのは初めて。この首は、10世紀初頭、古今和歌集を編集した紀貫之(きのつらゆき)が、絶賛したという有名な首です。片面には「難波津の歌」もう片面には「安積山(あさかやま)の歌」が書いてあるという、大変珍しいものでした。

この木簡発見により、万葉集によってこの歌が広まったのではなく、それ以前から庶民に歌われていたことがわかりました。

ワッソでは朝日ABC放送のパーソナリティを務める役者の妹尾和夫さんが百済の「王仁博士(わにはかせ)」に扮し難波津の和歌をご披露する予定です。


「王仁博士」といえば、応神天皇の時代に来日し日本に初めて漢字を伝え、聖徳太子の師となった人です。対して「釆女」は日本の朝廷において天皇皇后に近待していたのですが、平安時代以降は特別な行事の歌人などの役職となりました。

以下はその2首の和歌です。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
仁徳天皇の治世の繁栄を願った歌と言われます。

釆女の歌は
「安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに」


葛城王(かづらきのおほきみ)が陸奥(みちのく)国に遣わされたときに、国司のもてなしがなおざりであると、怒りが顔にでてしまった。酒食を設けても、あえて宴を楽しまない。

 ここに、采女(うねめ)として都仕えしていた、みやびやかな娘が気転をきかせ、左の手に酒の入った盃をささげ(深き心)、右の手に水を持って(山の井から汲んできた水:底の見えるような浅き心)、王のひざを打ってこの歌を詠んだことで、王の怒りの心が解きほぐれて、終日、酒を楽しんだという和歌です。



勉強不足の私は、なぜこの2つの和歌が対になっているのか、ちょっとわからない、、、。もしご存知の方がいましたら、教えてくださいまし。


芸術の秋、皆様にも壮大な歴史ロマンをお届けできたら嬉しいです。