『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

乃美宗勝(のみむねかつ)

2018-10-04 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
乃美宗勝(のみむねかつ)

〔現代仮名遣い〕のみむねかつ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


信長公記人名録では、「原文は乃美宗勝を浦

兵部と間違えている」とある。安芸の毛利氏

の臣。賀義城(竹原市)に拠り、小早川隆景

に従い水軍を統率した。

1555年陶晴賢との厳島の戦いでは村上水軍を

味方につけることに成功し、勝利の一因をつくった。


1576年7月大坂方へ兵粮を入れるため、八百艘

    の連合水軍で進出。信長方を破り兵粮

    を入れ、本国へ戻る。

1592年死去。


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