野間佐吉(のまさきち)
〔現代仮名遣い〕のまさきち
※下線部は信長公記以外の記事によります。
三好義継の家老。
1573年11月若江城中で多羅尾右近・池田丹後守・
野間左吉が背反し、城中一の重臣金山駿
河を殺害のうえ、信長方佐久間信盛を呼
び入れる。天主まで追い詰められた義継
は女房・子息を刺し殺した後、腹十文字
に掻き切って果てる。のち多羅尾・池田・
野間の三名が若江城の経営を任される。
1580年津田宗及・山上宗二らの茶会を催した。ま
た信長から「燕絵」を拝領した。
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〔現代仮名遣い〕のまさきち
※下線部は信長公記以外の記事によります。
三好義継の家老。
1573年11月若江城中で多羅尾右近・池田丹後守・
野間左吉が背反し、城中一の重臣金山駿
河を殺害のうえ、信長方佐久間信盛を呼
び入れる。天主まで追い詰められた義継
は女房・子息を刺し殺した後、腹十文字
に掻き切って果てる。のち多羅尾・池田・
野間の三名が若江城の経営を任される。
1580年津田宗及・山上宗二らの茶会を催した。ま
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