『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

因縁と先例22【取次衆はとても儲かる】

2007-12-28 19:08:41 | 因縁と先例
公的な職制ではありませんが、武家には『取次衆』

といわれる人々がいます。現代で言えば『渉外担当』

にあたり、自家と他家の間の交渉を担当します。よく

テレビで出てくるような「有力武将同士がたびたび

大広間で直接会見する」といったことは当時ありえ

ないことであって、全んどの場合互いの『取次衆』が

主に成り代わって段取りを進めていきます。たとえば

「会社同士のビッグプロジェクトを進めるとき、実質的

にはプロジェクトリーダーが段取りを進め、社長が出て

くるのはキーポイントとなるときだけ」といえばわかり

やすいでしょうか?


【源平盛衰記の時代】

*平大相国清盛の家では源大夫判官季貞・平越中次郎

 兵衛盛嗣らが『取次衆』を務めていました

*清盛の嫡男である小松内大臣重盛の家では平主馬

 判官盛国が『取次衆』を務めていました

*源頼朝の家では安達藤九郎盛長らが受け持っていま

 した


【信長公記の時代】

*織田家では、信秀の時は平手中務丞政秀が『取次衆』

*信長の時は丹羽五郎左衛門長秀が受け持ちました

*徳川家では家康のとき、酒井忠次・石川数正および

 大久保一門が『取次衆』に当たるかもしれません


現代と戦国時代では大きく違う点があります。現代の

渉外担当が決められた月給で動いているのと比べ、

戦国時代の『取次衆』は仲介するたび「引出物」

(=女性物の小袖、小刀、金銀など)を受け取って

いたので、莫大な手数料を稼ぐことができたようです。

成立させれば主からの褒美も出るので『往復ビンタ』

でもうかります!ただ扱う案件が、身方同士・身方対敵・

対朝廷・対幕府・対宗教などと多岐にわたるので、軍事力・

交渉力・知性と教養・人間の魅力・統率力・財力などの

要求される難しい業務です。そのうえで主君に忠誠を誓う

という・・・難しそう・・・

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