『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

常見(じゃうけん)

2017-08-23 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
常見(じゃうけん)

〔現代仮名遣い〕じょうけん


兵庫の金持ちで、目が見えるのに検校衆に

千貫積み検校にしてもらい、京都で座頭衆

を差配した。

1579年9月座頭衆から訴えがあり成敗され

    そうになったが、黄金二百枚供出

    して難を逃れた。信長はこの黄金

    200枚で宇治平等院の前に橋をかけ

    るよう、宮内卿法印・山口甚介に

    命ずる。


 ※戦国時代1文=120円とすれば1貫文=

  1000文=120,000円。千貫文=

  120,000円×1,000=1億2千万円と

  なります。“悪の道”で一丁前に

  なろうとするなら億単位が必要と

  いう例です。

 ※ちなみに黄金1枚=金10両なので、

  黄金200枚=金2000両。金1両=

  4貫文ですから黄金200枚=2000

  両=8000貫文となります。千貫文

  で検校になった常見が自分の身を

  助けるために八千貫文払うという。

  信長公は良い悪いというよりは、

  どれだけ世の中に役立つかという

  観点で人の罪を量っていたので

  しょうか。


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