まてりあ恒例の石巻仮設住宅への出張箱庭、今回は6月20日~22日、久しぶりに車で行ってきました。
第1日目は石巻に向けての移動日。朝、箱庭道具一式を詰め込んで、いざ出発。
今回は常磐道が開通したので中央道から首都高を通って常磐道に・・・のはずが、
あれ?いつのまにか東北道を走っている!なぜ?どうやらひとつ前の分岐点で間違えたみたい。
このまま東北道で行けば早いかな?と思っていると、「どうしても常磐道で行きたい!」と主張する人が。
「なぜ?」と聞くと、「通ったことがないから」。あ?それだけ?でも、まあ、そうだね。
ということで、多少時間はかかる事になるけれど、北関東自動車道経由で常磐道へ。
やがて、常磐道は福島県へ。しばらく走ると道路の脇の電光掲示板に放射線量測定値が表示され始めた。
地図で確認するといつのまにやら帰宅困難区域を走っている。普通に山間に見える民家。
でも戻れない我が家の数々。しんとした時間のとまった空間。
ここにもまだまだ震災の爪後が大きく広く深く残っているのを目の当たりにした。
東京に住む私たちが目をそらしてはいけない事実が静かにそこにあった。
そして今回の目的地、石巻の一番谷地南団地へ。今夜の宿はこちらの仮設の集会所。
一息ついてから、仮設の方、子どもたちと近所の温泉施設へ。文字どおりの裸の付き合い。
ゆったりお湯につかりながら、被災した時の話をお聞きした。
石巻に家を建て、これから住もうとしていた矢先の被災。新しい家には住むことはかなわなかったと。
被災された方はご自身の事はお互いに話さない。みんなが辛い思いをしているから、
自分の事を、自分が辛かったことを、話せないままでいる。
だから、私たちのような外部の人間が行くとご自身の体験を話して下さることがままある。
淡々と、呼吸をするかのように。その声にじっと耳を傾ける事が私たちにできる事なのかな。
そして、温泉からの帰り道。日和山へ夜のドライブ。
旧北上川を見下ろして、川沿いの街の灯りを眺めた。
あ~、人の生活があるって、温かいなあ。一度津波にのまれた街、灯りがともる今があった。
第2日目。仕事の関係でこの日から加わったまてりあメンバー2人を加え、私たちは総勢5名。
この日は仮設のバーベキュー大会。私たちの役割は、BBQ準備のお手伝いと、
箱庭体験会とくじ引き大会の実施。朝一番から次から次へと炊きあがるご飯でおにぎりを握る。
もちろん、おしゃべりにも余念がない。
ばっば(おばあちゃん)たちの明るい笑い声が空気をまあるく元気にしてくれる。
しかし、私たちのお手伝いなんていらないくらい、準備作業は流れるように進んでいく。
さすが、この日のために2週間前から、牡蠣、ほたての貝を開く練習、焼く練習、
食べる練習、飲む練習を重ねてきただけの事はあるようで。
でも、私たちが訪れることを理由に、みなさんがこんなに盛り上がって
楽しんでくださることがなにより嬉しい。
準備が整い、大人もBBQを楽しみ始めたので、今度は箱庭の準備。
今日は梅雨の合間のさわやかな青空も見える。
箱庭は外でやろう!と、外にブルーシートを敷いて「青空箱庭」の開始。
パーツの一つ一つが青空の下、風に吹かれて外の景色と一体化している。
子どもたちものびのびと砂を触り始めた。
何回も訪れていると、子どもたちの成長も楽しみの一つとなる。
初めて訪れた時は、一番小さくて、みそっかすのようになにをするにも一番だった女の子が、
さらに小さな男の子たちが増え、その子たちのお世話をして順番待ちの説明をしている。
箱庭を自由に置いていた子が、思春期にさしかかったのか首をかしげながら一つ一つを慎重に置いている。
子どもの3年間って、本当に大きな成長をもたらすんだなと、あらためて感動してしまった。
大人たちは、牡蠣、ほたて、烏賊、海老、野菜のBBQとお酒とおしゃべりに舌つづみをうっている。
じっじもばっばも、おにいさんもおねえさんも、青空の下、笑顔、笑顔、笑顔。
私たちもたくさんの食べ物と笑顔のおすそ分けを戴いた。おなかも心も満腹!
そしてあとからあとからみなさんが顔を出し、今回のBBQ参加率、仮設世帯数で100%!
これも取りまとめ役のSさんが「できることをちょっとずつ」と
作業をみなさんに分担したゆえの協力のしやすさ、参加のしやすさあってのこと。
辛い時期を共に過ごしてきた仮設の皆さんの、仮設で残りの時間を慈しむひと時なのかな・・・。
最後は恒例のくじ引き大会、大きな袋やよさそうなものと狙いを定める人ほど、
違うものがあたってしまい、大笑い。
大きなつづらと小さなつづら、昔話の舌切りすずめを思いだし、またまた大笑い。
楽しい時間はあっという間。そろそろおいとまの時間。
「次は秋だっちゃ。いも煮会やるっちゃ。」「是非!」「また来てけろ」「お元気で」
毎度のことながら、別れの時はちょっぴり苦手。陽の傾き始めた時間での別れは特に。
また必ず来ます・・そう、自分の胸にも刻んで石巻をあとにした。
震災から4年が過ぎ、仮設で暮らしている方々との交流もまてりあとしては3年が過ぎた。
その中で知り合った仮設の取りまとめ役の方々の疲れが年々貯まってきている様子を
目の当たりにしている。私たちにできることは、お話をきいてフッと深呼吸してもらうことくらい。
そして、忘れないよ、またくるよって、いうことくらい。
そう、また来ます。忘れません。また、大きな声で笑いあいましょう。次は秋に・・・。