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『よし』・『ゆき』、我が家に住むペンギン?の「ペン太」の散策記です!

旅行記その⑤ 晩秋の萩 (後編)

2007-11-25 22:56:57 | お泊り旅行記(2006~)

2008-02-29 14:59:46
昼食は市街に戻り、つぼ半と言うお店へ。

 いわし定食と

 うに釜飯を注文。

 店の窓の前には、釜飯の釜や狛犬の様な焼き物等の置物が。

 ん?
置物???

 外から見ると、置物ではなく、「なまもの」でした。
客の出入りにも注文された魚料理にも全く関心を示さずに眠り続けるこの子の存在には、誰も気付いていませんでした。
 夢の中で魚づくしの食事でもしているのでしょうか?
本当によく眠っていましたね。

 食事後、再び萩焼見物に。
此処陶雅苑ではカミサンが妹様にマグカップを購入。
赤が多い萩焼ですが、澄んでいて深みの有る蒼が出たマグカップでした。
マグカップは複数持っていますが、こう言った物を見ていると、もう1つ欲しくなってしまいますね。

 松桂山は窯元直営のお店。
と言っても、他の窯の作品も置いています。

 天龍窯直営の萩焼ギャラリーはっとりですが、残念ながらお休み。


 その後菊ヶ浜へ出て見る事に。

 奥の山が指月山で、山と左手の森の間に萩城が有ります。
山裾には城跡の石垣が海に浮く様に見えますし、海の青と石垣の白、山の緑のコントラストが綺麗です。

 海には複数の島が見えます。
何れも断崖絶壁で海と陸が分かれている岩の島で、平べったい形の島です。
和牛の元になった見蘭牛(けんらんぎゅう)の産地である見島は遥か先だそうで、この中には有りません。
見蘭牛の幟は肉屋さんの店先に掲げられていましたが、今回味わう機会が無くて残念でしたね。

 海岸を萩城址へ向かいます。
浜辺には人の姿は無く、人と鳥の足跡が有るだけ。
波も穏やかで長閑な場所でした。

 萩城址に到着。
石垣の白さが際立っていましたが、石も違い材質なのでしょうか?

 表門側から見た萩城址。
廃城令で解体されたのですが、さぞや綺麗な城だったのでしょうね。
もう少し時代が後なら当時の写真や風景画何て物が残存するのでしょうけど・・・。

 城の入口には毛利輝元像が。
毛利と言うと元就が有名ですし、輝元は関が原で西軍の総大将になり、毛利家の石高を下げた当主ですので、一般的には銅像する事は無いでしょう。
とは言え、萩藩を開いた事で萩を発展させるのに大きな影響を与えた人物として、萩では特別な存在なのだと思います。


 萩城址近くの萩城窯にも寄りました。

 小さな窯元で、お店の横に工房と登り窯が有りました。
登り窯を実際に見るのは初めてなので、興味深く感じました。
此処で私用に花瓶を購入。
カミサンの花瓶は萩の赤が出た物だったので、私は蒼を購入。

 再び旧市街を抜けて宿に戻ります。

 石垣の向こうには夏みかん畑が。
屋敷と住民を守る石垣も、今では夏みかんを守る為の物になっています。
今後10年、20年経っていく中でどう変わっていくのでしょうか?
みかん畑も討ち捨てられ、藪になっていない事を願うばかりです。

 萩土産として、宿で食べる飲み物とゼリー2種を購入。
みかんジュースはなかなか美味しかったですが、ゼリーの片方(ジュレ)は、薬品臭いと言う感じで、期待外れでした。

 宿に自転車を帰した後、荷物を背負ってバスセンターへ。
新山口駅行きのバスに乗り、新山口から新幹線で広島に行きました。
バスセンターで気付いたのが広島行きのバスが有った事。
もう30分位前に着いていれば、広島行きのバスにも乗れたのです。
萩から新山口行きのバスは調べて有ったのですが、広島に直接行くバスが有るとは其れ迄気付きませんでした。
バス会社のHPは何度も見ていたし、様々な交通手段で計算した上での旅行だったのですが・・・。
私の調べ方の問題も有りますが、誰でも気付く様なHPの見せ方、作り方を考えた方が良いのではないかと思います。
少なくとも2人の客を逃した訳ですから・・・。



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