秀麗富嶽12景の山を巡る目的で、山梨へ行きました。
今回は大菩薩嶺(だいぼさつれい)近くの山。
大菩薩嶺の地図を購入して下調べをし、初めての山塊へ向かいます。
複数有る山の中で選んだのは、『甲斐大和駅から湯ノ坂峠へ向かい、大蔵高丸へ登り、そのまま南下して滝子山を経て初狩駅に下りる』ルート。
甲斐大和駅からのバスの時間を調べ、事前に八王子から大月迄の特急券を購入し、途中に有る史跡やら山中で出会えるであろう花々やらを調べて冊子を作って準備万端!
朝は早いけれど、余裕をもって家を出発!
八王子で充分過ぎる位の時間が出来たので、ホームの待合室で朝食を摂った。
特急と各駅を見送り、トイレに行く余裕もあった。
各駅停車と違って特急は全く停車しないし、とても快適(^▽^)/
あっという間に大月に着いた。
で、其処で「何か変 (・・?」と言う事に気づいた(気付いた時点で遅いのだけれど・・・)。
「あれっ?もう甲斐大和駅発のバスの時間なのだけれど…」
何か計算を間違っていたらしく、私達が乗った特急だと、本来乗ろうと思っていた甲斐大和発のバスに乗る事が出来ない…。
「そんなぁ~」とショックを受け、混乱しながらも、慌てて計算しなおしてみる。
その結果、
「1時間後に発車するバスでも、今日予定していたコースを変更しなくても大丈夫」
と判明。
「バスは、1時間後だね。甲斐大和で30~40分位時間が有るから、駅周辺を見物しようか」
と慌てず、次に来た電車で甲斐大和へ行く事に。
甲斐大和駅の改札内部から。
ホームには待合室や産物である甲州鞍馬石の石灯篭が有ります。
駅のお知らせには、今年の春で無人駅になった事を知らせる案内掲示が。
駅の南側です。
こちらの方が栄えていますが、お店は少し離れた所に1軒見えるだけ。
駅の北側には東屋が。
那智勝浦の足湯を思い出す作りだけれど、ただのベンチです。
その向こうに銅像が。
軍配を握り、先へ進もうとする彼は武田勝頼。
武田信玄の息子で、長篠の合戦で織田・徳川連合軍の鉄砲隊の前に敗れ、織田信長に滅ぼされる人物と言えば分かるかな?
軍配を持っているところが信玄の息子と言う流れなのかな?
この地は武田家滅亡の地でもあるのです。
この銅像を見ていた時にユキさんが駅の南側からやって来た。
「1時間後のバスって休日のみだって。今日は平日ダイヤだって」
「平日ダイヤだと次のバスは9時50分(1時間半以上先)だって」
・・・絶句・・・Σ(゚д゚lll)ガーン。
再度地図を開いて計算をする事に。
「駅から歩いて行く・・・しかないなぁ・・・」
「コースも・・・変更するしかないなぁ」
ああ・・・こんな事になろうとは・・・・・。
とは言え、武田氏にまつわる史跡を見ていきたい気持ちも有ったので、私としては「良い機会」でもありました。
バスだと車窓から見るだけだから、あっという間に通り過ぎてしまうもんね。
今回、『あ・る・き』ですから!
先ずは『四朗作古戦場の石碑』。
左手の工場の右横に石碑が有ります。
その先の右手には『鳥居原古戦場の石碑』が。
最後の戦いの際にここから下流の『四朗作』に家臣の小宮山友晴以下数人の兵が陣を構え、上流の鳥居原に勝頼が陣を構えたとの事。
此処が武田家最後の地になりました。
道路もアスファルトの2車線で、斜面は崩落防止の為にコンクリートで工事がされていますので、当時とは大きく変わっているでしょう。
川は写真の左手で、大きな石がゴロゴロと転がっている間を流れています。右手は下り斜面で、畑とその間に家が数軒有り、その先に川が流れています。
道端に咲いていた花。
河原なでしこを見付けた(^▽^)/
此処でも『なでしこ』に出会えた。
ナデシコの花、好きです
フシグロセンノウにも出会えた。
コケが生き生きとしていて、淡い黄緑がとても綺麗
無人の山小屋。
アザミ
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