26歳で結婚し、29歳で離婚。その後2年間は一人暮らしだったが、
ある女性と知り合い、大阪市内の団地で同棲生活を始めた。その女性はバツイチで、
「新吾」という小学3年生の息子がいた。ある程度この子の反発は覚悟していたが
新吾は反発というより、愛に飢えていた。
初対面はファミリーレストラン。仕事の関係で30分遅れて店に入ったが、
先に来ていた二人の注文料理にびっくりした。メニューのほとんどを注文した
のではないかと思うほど、テーブルに料理が並んでいた。その数、
10種類ぐらいあったのではないか。
その女性は、「新吾はなんでも一口食べるのが好きで…」と、言い訳した。
「一口って、残った分はどうするの?」と聞くと、二人とも黙っていた。
しかし、初対面であり、俺もとやかくは言わずに、その場を笑顔で乗り越えた。
一週間後、彼女の団地に引っ越した。新吾は当然反発していた。
「おっちゃん、なんでうちの家に来たの?僕は嫌だ」と、はっきり言った。
それを聞いて、彼女は、「新吾、Мさんに失礼でしょう。そんなことを
言ったら駄目」と、諭した。でも、俺が新吾の立場だったらそう言うだろうな
と思った。大人は勝手すぎる。
当時は二人とも貧しかった。それで彼女は知り合いのラウンジにアルバイトに行った。
夜は俺と新吾の二人だけである。当然、最初は新吾に手を焼いた。カレーを作ると、
「いつもの味じゃない。福神漬けがない」と、半分も食べなかった。しかし、
俺は怒らなかった。たぶん、俺がその状況なら同じことを言ったと思うからだ。
ある夜、彼女と別れた父親から新吾に電話が掛かってきた。
「うん、元気だよ。今?、今は知らないおっちゃんといる」と、
笑いながらこちらをずるそうに見た。父親は状況を察し、「そうか、
でも仲良くするんだぞ」と言ったらしい。俺は何となく気まずくなり、
「新吾、つらい思いをさせてすまんな」と言うと、「全然~」と、笑った。
このころには、俺と新吾には、ある程度意思の疎通ができていたのだった。
それから2年が経過した。新吾は小学5年生になり、少したくましくなった。
「おっちゃん、キャッチボールせえへん?」と言うから、「おお、やろやろ」と、
表に出て俺がキャッチャーになり、投手の新吾がピシピシ早い球を投げてきた。
同じ階の同級生の男の子が、「いいなあ~」と言った。それを聞いて新吾はにっこり笑った。
その夜、久しぶりにカレーを作った。「あ、すまん、福神漬けを買うのを忘れた!」
と言ったら、「おっちゃん、そんなもんはどうでもええよ。おっちゃんのカレーは
おいしいから」と言った。新吾は本当はわがままな子ではなかった。どこへ行っても
母親を困らせていたが、感受性の強い子供だった。寂しがりやで、両親の愛情が欲しかったのだと思う。
それから夏休みに二人で旅をした。南紀の小さな駅に降りて、熊野古道を2時間ほど歩き、
山間の民宿に泊まった。そこの夕食は山菜中心の田舎料理だった。「おい新吾、
こんな料理、お前食えるか?」と聞いたら、「好き嫌いはないよ」と笑った。
心に残る楽しい旅で、俺は実の息子と旅をしている感覚になっていた。
しかし、旅行から帰ったら彼女が言った。「やっぱり、本当の父親の方がいいと思う。
前の亭主が一緒に暮らしたいと言うので…」と。これを聞いた新吾は、「嫌だ」と言った。
でも、その後は黙っていた。新吾は俺のことを考えていると思った。
でも、母親につい行かなければならない。その心中を察し、俺も別れを了解した。
3年後、駅近くのストリートで、中年のおっさんと腕を組んで歩いている彼女を見た。
明らかに新吾の父親ではない。彼女は通り過ぎる俺に対し、クスッと笑った。
照れも恥ずかしさもないようだった。「そういうことか…」俺はあっけにとられ、
しばらく後ろ姿を見ていたが、その女性のことはどうでもいい。
心の中は新吾のことで一杯だった。確か今は中学1年のはずだが、まだ傷つきやすい
男の子なんだろうか?あの純粋な心が、今も残っているのだろうか?
当時は、本気で心配し、彼の将来を憂いた。