どこにおりましても、何をしていても、稽古のことが頭を離れない不器用な性格が習い性となって長年暮らしておりますので、外国、なかでもとりわけ、南の方の国にまいりますと、大きな深呼吸と一緒に、心の底からの開放感に包まれます。今年は、南ベトナムでノンビリとしたお正月を過ごしてまいりました。
広大なメコン河のゆるやかな流れの中を、心地よい風に吹かれながら手漕ぎボートでゆるゆると進むとき、日頃は大好きでたまらないはずの日本文化の、きりりと身の引き締まるような緊張感や気概など『どこ吹く風』という気分にさせてくれるのが、たまさかの気分転換には何より有難いのでございます。
クルーズの途中に立ち寄った小さな島でお茶を頂いておりましたら、思いがけずベトナムの一弦琴と胡弓、それにお唄を聴くことが出来ました。
日本の一弦琴は、左指に輪管を嵌めて絃を押さえることで音程を変えながら、右手でお箏の様に弾きますが、ベトナムの一弦琴は違います。右手に、竹をちょうど爪楊枝のように細く削ってつくったピックを握り、ハーモニクス奏法で鳴らします。太い竹を半分に割った上に絃を一本張ったというシンプルなつくりのものの左に、金属製のレバーのようなものが立っておりまして、このレバーを左手で操作することで、ヒューンヒューンとさらに変幻自在に音程を変化させるのです。音が小さすぎるからといって、大胆にもスピーカーを取り付けてありました。
(上のお写真は、付け焼刃で魅惑の音色に挑戦しているナリキリ蛍でございます。)
二胡は、ココナッツ胴に蛇皮を張ってありまして、弓は、本来でしたら馬のしっぽの毛、でも普段はナイロン製ですとか・・・。そこへ何故か普通のギターも加わって、三人でベトナム音楽を演奏してくれました。この暢気さがまたよろしいものです。類推いたしますに、ベトナム民謡といった類のものでございましたでしょう。気分もほどよく盛り上がってまいりましたところへ、ほっそりとした御姉さまがササッと前へ進み出て、ベトナム語で少しお話をなさってから、とても綺麗なお声で、お唄を唄って下さいます。
うっとり・・・
私達が小さかった頃、お盆に里へまいりますと、お三味線や太鼓、お笛に合せて、のどに覚えのある方達がさも得意げに盆踊り唄を披露し、私共は、大人達と一緒に輪になって踊り、初盆のお家からふるまわれるお精進の煮物を頂いたりしたものでございます。ふと心懐かしく思い出されると同時に、苦い気持ちが一瞬、胸をさしました。懐かしいような羨ましいような・・・そして、いつまでもこの唄を手放さないで下さいと心のそこから願いながら、爽やかな笑顔と美しい歌声に時を忘れておりました。
日本人が、本当の唄を唄えなくなってしまったのはいつの頃からなのでしょう。
そもそも、学校での音楽授業とはなんなのでございましょう。一体、何を教えたいのでしょう。
疑うことを知らない純真な子供時代の私にとりまして音楽のお授業は、楽しくてたまらない大好きな時間ではございましたけれども、今、大人になって改めて思い起こしてみますと、謎だらけ???の不思議なお時間でございます。幸か不幸か私自身は、云われた通りのことは器用にこなす子供でございましたが、三拍子や四拍子がとれなかったり、平均律がとれなかったりするのは当たり前の日本の子供達が、なぜ、音痴ということになっちゃうのでございましょうネ?どなたのご趣味で、あのような発声で唄うことを皆に強要されるのでしょう。ウブな蛍も、さすがに思春期を迎える頃には、割り切れなさと不信感でいっぱいになってしまっておりました。私がまいりました高校では、結果的には粋なはからいと申しますか、音楽の授業が選択制になっておりましたので、おかしな音程やおかしな発声の無理強いは、中学校までの辛抱で終わりにさせて頂くことが出来ましたことは、精神衛生上、全く幸いでございましたけれども・・・。
「学校に音楽の授業は必要ありません。学校で音楽など教えるせいで、日本人はとうとう唄が唄えなくなりました。」
数年前のある日の午後のことでございます。六本木クローバーで大好きな山岡知博先生と美味しいコーヒーを頂きながら、さまざまなお話を伺っておりましたら、先生が慙愧に耐えないといった面持ちで呟かれました。それまでの長い間、私ひとりの心の中で悶々と自問自答を繰り返すばかりで、口に出して上手に云えなかった言葉を、こんなお偉い先生から突然、キッパリと伺うことが出来て、私はどれほど驚いたことでしょう・・
『花は野にある様 炭は湯の煮ゆる様』とは、私の好きな利休七則でございますが、お唄の心も同じことかと心得ております。
唄を忘れた悲しい私達日本人に、もとのような美しいお声が戻ってくる日は、また再び訪れるのでしょうか?
すっかりお話がそれてしまいましたけれども・・・
旅のもう一つの大きな目的は、土地の美味しいものをいただくことなのは云うまでもございません。
毎朝のフォーを楽しみにしながら始まるベトナムのお料理は、どれも美味しくて・・・
大変結構なお国でございました
広大なメコン河のゆるやかな流れの中を、心地よい風に吹かれながら手漕ぎボートでゆるゆると進むとき、日頃は大好きでたまらないはずの日本文化の、きりりと身の引き締まるような緊張感や気概など『どこ吹く風』という気分にさせてくれるのが、たまさかの気分転換には何より有難いのでございます。
クルーズの途中に立ち寄った小さな島でお茶を頂いておりましたら、思いがけずベトナムの一弦琴と胡弓、それにお唄を聴くことが出来ました。
日本の一弦琴は、左指に輪管を嵌めて絃を押さえることで音程を変えながら、右手でお箏の様に弾きますが、ベトナムの一弦琴は違います。右手に、竹をちょうど爪楊枝のように細く削ってつくったピックを握り、ハーモニクス奏法で鳴らします。太い竹を半分に割った上に絃を一本張ったというシンプルなつくりのものの左に、金属製のレバーのようなものが立っておりまして、このレバーを左手で操作することで、ヒューンヒューンとさらに変幻自在に音程を変化させるのです。音が小さすぎるからといって、大胆にもスピーカーを取り付けてありました。
(上のお写真は、付け焼刃で魅惑の音色に挑戦しているナリキリ蛍でございます。)
二胡は、ココナッツ胴に蛇皮を張ってありまして、弓は、本来でしたら馬のしっぽの毛、でも普段はナイロン製ですとか・・・。そこへ何故か普通のギターも加わって、三人でベトナム音楽を演奏してくれました。この暢気さがまたよろしいものです。類推いたしますに、ベトナム民謡といった類のものでございましたでしょう。気分もほどよく盛り上がってまいりましたところへ、ほっそりとした御姉さまがササッと前へ進み出て、ベトナム語で少しお話をなさってから、とても綺麗なお声で、お唄を唄って下さいます。
うっとり・・・
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私達が小さかった頃、お盆に里へまいりますと、お三味線や太鼓、お笛に合せて、のどに覚えのある方達がさも得意げに盆踊り唄を披露し、私共は、大人達と一緒に輪になって踊り、初盆のお家からふるまわれるお精進の煮物を頂いたりしたものでございます。ふと心懐かしく思い出されると同時に、苦い気持ちが一瞬、胸をさしました。懐かしいような羨ましいような・・・そして、いつまでもこの唄を手放さないで下さいと心のそこから願いながら、爽やかな笑顔と美しい歌声に時を忘れておりました。
日本人が、本当の唄を唄えなくなってしまったのはいつの頃からなのでしょう。
そもそも、学校での音楽授業とはなんなのでございましょう。一体、何を教えたいのでしょう。
疑うことを知らない純真な子供時代の私にとりまして音楽のお授業は、楽しくてたまらない大好きな時間ではございましたけれども、今、大人になって改めて思い起こしてみますと、謎だらけ???の不思議なお時間でございます。幸か不幸か私自身は、云われた通りのことは器用にこなす子供でございましたが、三拍子や四拍子がとれなかったり、平均律がとれなかったりするのは当たり前の日本の子供達が、なぜ、音痴ということになっちゃうのでございましょうネ?どなたのご趣味で、あのような発声で唄うことを皆に強要されるのでしょう。ウブな蛍も、さすがに思春期を迎える頃には、割り切れなさと不信感でいっぱいになってしまっておりました。私がまいりました高校では、結果的には粋なはからいと申しますか、音楽の授業が選択制になっておりましたので、おかしな音程やおかしな発声の無理強いは、中学校までの辛抱で終わりにさせて頂くことが出来ましたことは、精神衛生上、全く幸いでございましたけれども・・・。
「学校に音楽の授業は必要ありません。学校で音楽など教えるせいで、日本人はとうとう唄が唄えなくなりました。」
数年前のある日の午後のことでございます。六本木クローバーで大好きな山岡知博先生と美味しいコーヒーを頂きながら、さまざまなお話を伺っておりましたら、先生が慙愧に耐えないといった面持ちで呟かれました。それまでの長い間、私ひとりの心の中で悶々と自問自答を繰り返すばかりで、口に出して上手に云えなかった言葉を、こんなお偉い先生から突然、キッパリと伺うことが出来て、私はどれほど驚いたことでしょう・・
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『花は野にある様 炭は湯の煮ゆる様』とは、私の好きな利休七則でございますが、お唄の心も同じことかと心得ております。
唄を忘れた悲しい私達日本人に、もとのような美しいお声が戻ってくる日は、また再び訪れるのでしょうか?
すっかりお話がそれてしまいましたけれども・・・
旅のもう一つの大きな目的は、土地の美味しいものをいただくことなのは云うまでもございません。
毎朝のフォーを楽しみにしながら始まるベトナムのお料理は、どれも美味しくて・・・
大変結構なお国でございました
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