今日は久々に映画の話をします。
本年度のアカデミー最優秀ドキュメンタリー映画賞をはじめとし、世界各国で30以上の映画賞を獲得したドキュメンタリー映画“BORN INTO BROTHELS”(売春窟に生まれて)です。
この映画はインドのカルカッタのいわゆる赤線地帯が舞台。
イギリスの女性写真家Zana Brinski氏は売春を生業にする女性達の姿をカメラに収めるためにインドカルカッタの売春窟を訪れます。
そこでは毎日女達が街角に立ち、身を売って日銭を稼ぎ、得たカネで家族を養っています。母親が客を取っている間、子供たちは建物の屋上で母の仕事が終わるのを待っています。
ある少女はこう言います「私もあと何年かしたらお母さんと一緒に街角に立たなきゃならなくなるのよ」と。
一方、子供達の父親は、ある者は酒に溺れ、ある者は麻薬の吸引のし過ぎで廃人同様の有り様です。酒や麻薬が底をつくと彼らは金をせびりに女達のもとへやって来ては、ときに殺傷沙汰すら引き起こします。
しかし、そんな売春窟において、写真家Zana Brinskiの目をつよく惹きつけたのは、売春婦達の日常ではなくむしろ、Brinskiの構えるカメラに並々ならぬ関心を示し、目を輝かせながら彼女の後ろをついて回る現地の子供達の姿だったのです。
子供達の飽くなき好奇心に心を動かされたBrinskiはある日、子供達に写真の撮り方を教えることを思い立ちます。
彼女は、子供達にオートフォーカスのカメラを一台ずつ渡し、自由に写真をとってくるよう指示します。子供達はカメラを提げて町に出、まちの片隅に存在する様々な風景を次々にカメラに収めてゆきます。その写真がまさに大人顔負けの出来栄えなのです。
「年端も行かない高々10歳ぐらいの子供達がどうやったらこれほどまでに玄人はだしの写真を撮ることができるのか?」というのが、この映画を見たときの僕の最初の感想でした。僕は写真についてはほとんど素人なのでテクニカルなことはよくわからないのですが、それでも子供達の写真のいくつかが極めて高いクオリティを持っているということはすぐに理解できました。
麻薬と暴力と文字通りのセックスが氾濫する(に違いない)カルカッタの売春窟に生きる子供達の純粋無垢な眼がいとも簡単に切り取ってみせる人間たちの“瞬間”の表情を捉えた写真には、人々の“息遣い”すら写し込まれているように感じます。
彼らの潜在的才能に驚嘆したBrinskiは、彼らの写真を集めてニューヨークで写真展を開く決断をします。結果、マスコミに大きく取り上げられたこともあってこの企画は大成功を収めます。
その後Brinskiは、写真展の売上と集まった寄付とをもとに“Kids with Cameras 基金”なるものを設立し、現地の子供達に教育を受けさせ、未来のない売春窟の生活から彼らを救い出そうと活動を始めます。
しかし、彼女達の目論見は思わぬ方面からの抵抗に遭うことになるのです・・・
この映画はある意味、世界にあまた存在する貧困問題のごく一部を切り取って見せただけの、“どこにでもある映画”の域を出ない可能性もあります。そしてさらに、穿った見方をすれば、驕りたかぶった“持てる者”達による究極の“おせっかい”映画だと揶揄される可能性も秘めているかもしれません。(事実、アマゾンドットコムのカスタマーレビューは真二つに評価が分かれています)
しかし一方において、この究極の“おせっかい”による介入が一人の子供の運命を劇的に、しかも素晴らしく変える事が出来たのだとしたら、そして彼らのうちの何人かが学ぶ喜びとその意味とを知ることが出来たのだとしたら、それは限りなく素敵な出来事であるに違いありません。
尚、子供達の作品のいくつかはKids with Careras のwebsiteでチェックが可能です(気に入れば購入も可能)。
追記:この映画は日本公開の予定が今のところないそうです。配給会社の言い分によるとこの手の映画は(たとえアカデミー賞受賞作であっても)観客動員が見込めないというのが理由なのだそうです。まるで我々日本人の精神の貧困さを指し示しているような悲しい話です。
本年度のアカデミー最優秀ドキュメンタリー映画賞をはじめとし、世界各国で30以上の映画賞を獲得したドキュメンタリー映画“BORN INTO BROTHELS”(売春窟に生まれて)です。
この映画はインドのカルカッタのいわゆる赤線地帯が舞台。
イギリスの女性写真家Zana Brinski氏は売春を生業にする女性達の姿をカメラに収めるためにインドカルカッタの売春窟を訪れます。
そこでは毎日女達が街角に立ち、身を売って日銭を稼ぎ、得たカネで家族を養っています。母親が客を取っている間、子供たちは建物の屋上で母の仕事が終わるのを待っています。
ある少女はこう言います「私もあと何年かしたらお母さんと一緒に街角に立たなきゃならなくなるのよ」と。
一方、子供達の父親は、ある者は酒に溺れ、ある者は麻薬の吸引のし過ぎで廃人同様の有り様です。酒や麻薬が底をつくと彼らは金をせびりに女達のもとへやって来ては、ときに殺傷沙汰すら引き起こします。
しかし、そんな売春窟において、写真家Zana Brinskiの目をつよく惹きつけたのは、売春婦達の日常ではなくむしろ、Brinskiの構えるカメラに並々ならぬ関心を示し、目を輝かせながら彼女の後ろをついて回る現地の子供達の姿だったのです。
子供達の飽くなき好奇心に心を動かされたBrinskiはある日、子供達に写真の撮り方を教えることを思い立ちます。
彼女は、子供達にオートフォーカスのカメラを一台ずつ渡し、自由に写真をとってくるよう指示します。子供達はカメラを提げて町に出、まちの片隅に存在する様々な風景を次々にカメラに収めてゆきます。その写真がまさに大人顔負けの出来栄えなのです。
「年端も行かない高々10歳ぐらいの子供達がどうやったらこれほどまでに玄人はだしの写真を撮ることができるのか?」というのが、この映画を見たときの僕の最初の感想でした。僕は写真についてはほとんど素人なのでテクニカルなことはよくわからないのですが、それでも子供達の写真のいくつかが極めて高いクオリティを持っているということはすぐに理解できました。
麻薬と暴力と文字通りのセックスが氾濫する(に違いない)カルカッタの売春窟に生きる子供達の純粋無垢な眼がいとも簡単に切り取ってみせる人間たちの“瞬間”の表情を捉えた写真には、人々の“息遣い”すら写し込まれているように感じます。
彼らの潜在的才能に驚嘆したBrinskiは、彼らの写真を集めてニューヨークで写真展を開く決断をします。結果、マスコミに大きく取り上げられたこともあってこの企画は大成功を収めます。
その後Brinskiは、写真展の売上と集まった寄付とをもとに“Kids with Cameras 基金”なるものを設立し、現地の子供達に教育を受けさせ、未来のない売春窟の生活から彼らを救い出そうと活動を始めます。
しかし、彼女達の目論見は思わぬ方面からの抵抗に遭うことになるのです・・・
この映画はある意味、世界にあまた存在する貧困問題のごく一部を切り取って見せただけの、“どこにでもある映画”の域を出ない可能性もあります。そしてさらに、穿った見方をすれば、驕りたかぶった“持てる者”達による究極の“おせっかい”映画だと揶揄される可能性も秘めているかもしれません。(事実、アマゾンドットコムのカスタマーレビューは真二つに評価が分かれています)
しかし一方において、この究極の“おせっかい”による介入が一人の子供の運命を劇的に、しかも素晴らしく変える事が出来たのだとしたら、そして彼らのうちの何人かが学ぶ喜びとその意味とを知ることが出来たのだとしたら、それは限りなく素敵な出来事であるに違いありません。
尚、子供達の作品のいくつかはKids with Careras のwebsiteでチェックが可能です(気に入れば購入も可能)。
追記:この映画は日本公開の予定が今のところないそうです。配給会社の言い分によるとこの手の映画は(たとえアカデミー賞受賞作であっても)観客動員が見込めないというのが理由なのだそうです。まるで我々日本人の精神の貧困さを指し示しているような悲しい話です。
目先の事しか考えないわけ??って
めっちゃ素朴な疑問がわいてくる・・・
写真見ました・・・
凄いね・・・
いいでしょ?写真。
偶然の産物だなってわかるものもありますが、どう見てもプロの仕業としか思えないようなものが何枚かありますよね。
けっこう気に入ったので購入してみようかなーなんて一瞬思ったのですが、あまりに高いんでやめました(笑)
そのスペイン語教室に通っていた時の先生達が、ラテンアメリカのペルー人だったり、ベネズエラ人だったり、グアテマラ人だったこともあって、ラテンアメリカのコロンブスが新大陸発見(侵入?!)後の500年に何があったのかに、興味を惹かれて色々な本を読みました。
このインドの映画の話を読んで、ラテンアメリカでの麻薬の氾濫と、貧困、暴力、セックスの話を思い出しました。
私達に、そういう貧しい国に対して何が出来るか考えてしまいますよね?!
でも、グアテマラ人の先生が「グアテマラの子供は、貧しくて大変な生活をしいられているけど、日本の子供と違って目が輝いている。」と言ってました。
日本の子供は、恵まれているけど心が豊かじゃないのかもしれないっと思いました。
そのインドの子供達の作品が潜在的に素晴らしい才能を持っていたのは、偶然ではなく純粋で豊かな心を持っていたからかなっと、ふと思いました。
by千鳥っ子
今回の記事と皆さんのコメントを拝見して「心貧しき豊かな者」と「心豊かな貧しき者」のどちらが幸せかということについて考えさせられました。
確かに売春、麻薬、暴力といった不幸なシチュエーションというものは無くしていかなければいけませんが、富める国にも暴力は存在しますし、収入に恵まれても心の通わない家族というのもよくある話だと思います。
子供の心を豊かにする努力が我が国にとって急務の課題なのかもしれません。そのためには大人の心をもっと豊かにしなければなりませんね。
我が国の輸出入および海外経済活動の促進
開発途上地域の経済社会開発・経済安定化への支援
使命の元に色々やっているんでしょうけど、その利益は弱者には届かないんでしょうね。。。まあ、これもビジネスだから仕方ないかもしれないですね。
でも、その一方で、もしも世界が豊かな消費大国、アメリカになってしまったら、それはそれで恐ろしいとおもいます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/477620214X/qid%3D1128728999/250-0024808-4225822
などどいいつつ、来週末から私もブッシュのお膝元ヒューストンで一週間楽しんできます。
by千鳥っ子
>>グアテマラの子供は、貧しくて大変な生活をしいられているけど、日本の子供と違って目が輝いている。
うーん、日本の子供の眼は死んでますかねー、やっぱり。。。
アマゾンのレビューに誰かが、“一人のイギリス人篤志家のせいでカルカッタの子供達は自分達が世界一不幸な存在であると思い込まされてしまった”と書いていました。
今の日本では、教育を受け、いい学校にいって、いい会社に入りお金をもうけることが人生の最大の美徳であると多くの人々が信じています。そういう社会に生きていれば子供達の眼が濁ってくるのも仕方ないのかも知れません。
宮台真司氏ではないですが“現実ほどつまらない世界はない”のですから。
現実を知ることは素晴らしいことであると同時に耐え難い苦痛を伴うものであるということも知っておく必要があるかもしれません。
ちなみに chidorikkoさんの彼の名はTimっていうんですか?アメリカ人だったんですね。
ヒューストンは初めてですか?
一週間楽しんでいってください。
“日本の自殺率が高いのは何も不況だけが原因ではない。国民全体の教育レベルが高すぎることも原因のひとつだ”という話を以前聞いたことがあります。つまり、“依らしむべし知らしむべからず”の精神で国民はなーんにも知らされずに生きてゆくのが結局のところ一番幸せなのだということのなのだそうです。
“心豊かである”ということが果たして何を意味しているのか。なかなか難しい問いであるように思えます。
日本の教育制度にも色々と問題があるでしょう。ニートなんて若者も増えているようですし。
ただ、それでも途上国の子供達に今一番必要なのは、教育だと思っています。その売春をし続ける女性にどれだけエイズなどの知識があるのか疑問です。
何も日本のような教育制度を途上国に押し付ける必要はありませんが、教育を受けることによって、職業の選択の幅が広がり未来の可能性も広がるでしょう。私は理想主義ではなく、むしろ現実主義なほうですが、少なくても全ての世界中の子供達が読み書きが最低限出来るようになればいいなと思います。
活字は愛を語ることも出来ますが、自分達の権利を主張する武器にもなります。
日本は、、どうなったらいいんでしょうね?!少し前まで、日本人皆中流意識っていうのを持っていたような気がしますが、ここへきて、勝ち組と負け組はっきりしてきたような気がします。
でも、そういった勝ち負けで卑屈にならないで、自分なりの幸せを見つけていったらいいのかなっと思います。
「しあわせは自分の心が決める」
by相田みつを
私の大好きなフレーズです。
kazu-n さん
私がヒューストンへ行くのは、今年の5月の17日間滞在以来二度目です。
そう私の彼はアメリカ人でTimです。
(あのとおり?!、私のブログで自分のなにか悪口を何か言っているのではないかと、気になって覗いているようです。しかも、たまに誰かに訳してもらっているようです。 笑)
昔カーペンター時代の遠距離恋愛といえば、手紙が主流で、その手紙も一週間待たないとエアメールは届かなかったようですが、今の時代はVOIPフォンですよ!
私の家(東京)の電話は、ヒューストンの電話番号713-xxx-xxxxです。私はマジックフォンと呼んでいますが、なんだか、世の中複雑で私には良く理解出来ませんが、たまに間違い電話がヒューストンの周辺からかかってきます。
それが比較という世界で成り立っているなら
ますますディベート自体もグレーゾーンで話していることになってしまいますよね・・・
(ほら、私、毎日そういう系統の話をしているわけじゃないですか~笑)
世界各国、大別するとほとんどを網羅している私の学校でこの話をしたとすると、なかなか面白い事実が見えてきます・・・そして「貧しい」と言っている世界が「自分は豊かだ」と思っていること自体が「貧しい」とも言えたりしますよね・・・「貧しい」とか「豊かだ」という基準がはっきりしないで展開すると、思わぬ落とし穴があって、そのバランスを欠くことを通して事実をきちんとイバリュエートしていないことに繋がってしまう・・・難しい話ですよね・・・
私が、「心が貧しい」と表現したのは、決断基準が経済的利益でしかない映画配給会社の判断だったんです・・・つまり、そういう決断をするしかない状況に対してだったんです。クリアじゃなくてごめんなさいね。「日本」という国のあり方に対してじゃないんです。その決断が日本全体に影響するっていう長い目と拾い視野を感じられないことに「貧しいんじゃないか?」という疑問を持ったという事だったんです。じゃあ、その決断をした人たちが本当にそれを良しとしているか・・・それは分かりませんよね・・・でも、社会がそうさせてしまっているのかも知れない・・・もしくは、そういう決断をさせる別の理由があるからなのかもしれない・・・
ホテル・ルワンダ、日本公開になるそうですね。凄いなぁって思います。こういう情熱がある人たちがいるんだなぁって。金銭的利益を求めるという基準に対して、ちゃんとアクションを起こして、チャレンジしている・・・そういうことが出来るパワーがあるってことですよね。そして、ふと、言うのは易し、行うは・・・と思っちゃうんですよね・・・私は言うけど、アクションをじゃあ自分の居る場所でミクロでも起こしているか?自分の場所でそれこそ「豊か」に生きているのか?もしかしたら自分が一番「貧しい『日本人』」なのかもしれないし・・・
あ、ついつい・・・リサーチペーパーの最中なんで・・・
因みにVCは死んでいる目も多いですが、狂っている目も多いですよ。でも、それは、少なくとも、私が行った国々では普通にあることな気がするんです。日本も然り。自分だって常に「生き生きした目」かどうか、疑問だし・・・
こんな話を常にしているわけじゃないので安心してVCに来てください(苦笑)
>>全ての世界中の子供達が読み書きが最低限出来るようになればいいなと思います。
僕も同感です。教育(変なブレインストーミングではなく)は最終的にあらゆる問題に通じてくると思います。
chidorikkoさんのコメントを読んで、以前観た「小さな中国のお針子」という映画を思い出しました。 文革の嵐が吹き荒れる中国の片田舎で、お針子の少女が文学に目覚めてゆくというお話です。いい映画でした。
>>自分なりの幸せを見つけていったらいいのかなっと思います。
おっしゃるとおりだと思います。そういえば以前TBSのNEWS23に「幸せのかたち」というコーナーがありましたね。
「あなたは幸せですか?」「あなたにとっての幸せとはなんですか?」というテーマで現代人にとっての幸せ感を明らかにしてゆくという試みであったと記憶しています。あらゆる価値が多様化し相対化してゆくなかで、自分の信じられる幸せのかたちを見つけてゆくことってどんどん難しくなってきているような気がします。
ところで、話は変わりますが、いろんな言語で書かれたサイトを任意の言語に翻訳してくれるサイトがあります。翻訳自体は酷いものですが、なんとなく意味をつかむことはできます。
もしよかったらTimに紹介してあげてください(ひょっとしたらもう使ってるかもしれないですが)。
http://babelfish.altavista.com/babelfish/tr
ということで、今後ともよろしくおねがいします。
Have a safe trip!!