MY LIFE AS A DOG

ワイングラスの向こうに人生が見える

BUS174

2005年05月29日 16時29分10秒 | 映画
ブラジル映画“BUS 174”を観る。
先日の“Hotel Rwanda”の時と同様、見終わった後しばらくソファから立ち上がれなかった。。。
映画と一緒にちびちびと飲んでいたウィスキーの影響もあってか、あたまの中をぐるぐるといろんな感情が駆け巡った。

“BUS174”はブラジルのリオデジャネイロで実際に起きたバス・ハイジャック事件を扱ったドキュメンタリー映画だ。
2000年6月14日、リオの街中を運行する路線バスがある青年によってハイジャックされる。(ちなみに、ハイジャック(hijack)という用語の語源について知りたい人はこちらを参照)
通報を受けて駆けつけた警官隊とSWAT部隊が直ちにバスの周りを包囲するが、そもそもこのような事件に対応するノウハウが全くない警察はなんら手を打つことができない。
そして、この模様は同じくバスを取り囲んだ何十台というテレビカメラを通して全国3千500万人の家庭に生中継されてしまうのだ。
映画は実際の中継映像を用いてこの事件を再構成してゆく。

もちろん、内容がセンセーショナルであることに加え、実際のニュース映像が使われていることがこの映画の緊張感を高めていることは間違いないが、それよりもこの作品が世界で高く評価を受けた大きな理由は、この映画が決してその素材の特異性のみに依拠して作られているわけではないからだ。

監督のホセ・パジーリャは、実際のニュース映像をつなぎ合わせて事の顛末を描く以外に、実際の人質たち、事件を担当した交渉人、警察官、SWAT隊員、心理学者、社会学者、犯人の友人、親戚など様々な人物のインタビューを交えることで、現在のブラジル社会の抱えている絶望的ともいえる問題に深く深く切り込んでいく。

そしてこの映画を観る者は、やがて自分が様々な立場からこの事件を捉えはじめていることに気が付くのである。
それは、犯人の青年が辿った悲惨な生い立ちに対する同情であったり、「殺せ!殺せ!」と叫ぶ群衆と一体化して湧き上がってくる殺意であったり、はたまた時間を引き延ばす以外になんら対策を講ずることの出来ない無能な警察に対する怒りであったりする。

そして、これらの感情の果てには、なんともやりきれない無力感だけが残される。

正直なところ、僕のような人間がこの映画を評価してよいものかどうか、未だによくわからない。
なぜなら、この映画全体を覆っている絶望感とか、厭世感のようなものについて語ることが、例えは悪いが、冷房の効いたカフェで使い捨ての食器を使って昼食をとりつつ環境問題を議論するのと同じくらい偽善的で無責任なことのように僕には思えるからだ。
したがって、この映画をみて“貧困が諸悪の根源なんだよ”などと知ったような口をきく気には僕には到底なれない。

この作品は近々日本でも公開されるらしいので、これ以上内容について書くことは控えるが、アメリカで目にしたいくつかの批評にもあったように、この映画はある意味“シティ・オブ・ゴッド”を超えているといっても過言ではないかもしれない。

果たして事件の顛末がどうなったのか、知りたい方は是非。
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2 コメント

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こんにちは (kazu-n)
2005-06-02 11:16:33
確かに、、、

よっぽど覚悟してないとヘビーすぎて見てられないかも。。。

見終わった後に『観たぞーーーー』っていう感覚が残るこういう重ーいテーマのが個人的には好きなんですね。



ということで、これからもヘビーネタがしばらく続くかもしれませんがお許しください。。。なんて(笑)

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うーん (ダイアン)
2005-06-01 17:05:32
なかなか腹を据えて観ないとならない映画って感じですね・・・

kazu-nさんが社会派の映画を観ている頃、

私は何故かシュレック2を観ている・・・



さて、ペーパー、ペーパー・・・
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