映画評論家、町山智浩氏のブログ記事を読んでいるうちに、アレキサンダー・ソクーロフ監督の「太陽」がどうしても観たくなってしまった。そして、あれこれ迷った挙句Amazon.co.ukでDVDをお取り寄せすることにした。(アメリカでは発売されていないようなので)。
ヒトラーを描いた「モレク神」、レーニンを描いた「牡牛座」に続き、ソクーロフが4部作の第3作目として完成させたこの映画は(前二作はともに未見)、終戦時における“人間”天皇裕仁の姿を描いた問題作である。
今回、ソクーロフ監督の映画を僕は初めて観たのだが、その抑圧された演出と徹底したリアリズム、そして沈鬱な空気を孕んだ映像には正直ど肝を抜かれた。
なんと凄い(こんな陳腐な形容詞しか思い浮かばないのがなんとも悲しいのであるが・・)映画監督なのだろうか、この人は!!
この映画には取り立てて大きな見せ場があるわけではない。終戦に至るまでの経緯に関する説明的シーンも、感傷的な音楽も、この映画にはほとんど登場しない。あくまで、昭和天皇という一人の人間(もちろん当時は現人神であるが)の立ち居振る舞いをじっくりと追いかけて見せるだけである。にもかかわらず、息が詰まるほどの緊張感がこの作品を覆っているのはなぜだろうか。
鑑賞前、僕はこの映画の中で昭和天皇がどれほどの悪人、もしくは善人として描かれていようともそれを受容する自信があった。歴史上、多くの映画における全ての登場人物が示してきたとおり、苦悩に直面した人間の反応は(鑑賞者の好むと好まざるとにかかわらず)、必ずある一定のパターンに帰結する。早い話が、悪人であれば悪人なりの、善人であれば善人なりの、推測可能な思考、行動パターンが存在するはずなのである。ところが、この映画の中の昭和天皇は実のところ「悪人」としても「善人」としても描かれてはいないのだ。
映画「太陽」における昭和天皇は、あまりに無邪気な存在として描かれる。
昭和天皇との短い会談を終えたマッカーサーが「彼はまるで子供のようだな・・」とポツリと感想を述べるシーン(このマッカーサーは完全にミスキャストだと思う、見た目だけで選んだのか?)。あるいは会食中、マッカーサーが中座している間に、天皇が嬉々として燭台の上の蝋燭の火を消して回るシーン。そして米軍の写真撮影に応じた天皇がチャップリンを真似ておどけてみせるシーン。
果たしてどこまでがソクーロフ自身の脚色によるものか分からないが、これら数々のシーンは観る者を(日本人ならば尚更のこと)居た堪れない気分にさせるに違いない。
ちなみに、主演のイッセー尾形の演技は、「素晴らしい」の一言に尽きる。
昭和天皇の特徴をよく掴んでいることももちろんであるが、それ以上に彼の演技は普遍的な日本人特有の、(外国人の目にはしばしば奇異に映るかもしれない、しかし、ときにユーモラスですらある)不自然さ(?)を実に見事に表現しているように思う。言い換えるならば、彼は日本人全体の“表象”を体現しているのである。
現在この映画は日本公開の目処が全く立っていないという。この先も、公開に名乗りを上げる配給会社がそう簡単に出てくるとも思えない。
しかし、間違いなく、この映画はもっと多くの日本人によって観られるべきものであると僕は確信する。
映画のラスト。佐野史郎演じる侍従と天皇はこの映画のテーマを象徴するかのような、短くしかし重要な会話を交わす。果たして、侍従の発する言葉を、一人の人間としての昭和天皇はどう聞いたのであろうか。
純粋であることのいかに悲劇的であることか・・。
この映画を観つつ僕はそのようなことを漠然と考えた。
ヒトラーを描いた「モレク神」、レーニンを描いた「牡牛座」に続き、ソクーロフが4部作の第3作目として完成させたこの映画は(前二作はともに未見)、終戦時における“人間”天皇裕仁の姿を描いた問題作である。
今回、ソクーロフ監督の映画を僕は初めて観たのだが、その抑圧された演出と徹底したリアリズム、そして沈鬱な空気を孕んだ映像には正直ど肝を抜かれた。
なんと凄い(こんな陳腐な形容詞しか思い浮かばないのがなんとも悲しいのであるが・・)映画監督なのだろうか、この人は!!
この映画には取り立てて大きな見せ場があるわけではない。終戦に至るまでの経緯に関する説明的シーンも、感傷的な音楽も、この映画にはほとんど登場しない。あくまで、昭和天皇という一人の人間(もちろん当時は現人神であるが)の立ち居振る舞いをじっくりと追いかけて見せるだけである。にもかかわらず、息が詰まるほどの緊張感がこの作品を覆っているのはなぜだろうか。
鑑賞前、僕はこの映画の中で昭和天皇がどれほどの悪人、もしくは善人として描かれていようともそれを受容する自信があった。歴史上、多くの映画における全ての登場人物が示してきたとおり、苦悩に直面した人間の反応は(鑑賞者の好むと好まざるとにかかわらず)、必ずある一定のパターンに帰結する。早い話が、悪人であれば悪人なりの、善人であれば善人なりの、推測可能な思考、行動パターンが存在するはずなのである。ところが、この映画の中の昭和天皇は実のところ「悪人」としても「善人」としても描かれてはいないのだ。
映画「太陽」における昭和天皇は、あまりに無邪気な存在として描かれる。
昭和天皇との短い会談を終えたマッカーサーが「彼はまるで子供のようだな・・」とポツリと感想を述べるシーン(このマッカーサーは完全にミスキャストだと思う、見た目だけで選んだのか?)。あるいは会食中、マッカーサーが中座している間に、天皇が嬉々として燭台の上の蝋燭の火を消して回るシーン。そして米軍の写真撮影に応じた天皇がチャップリンを真似ておどけてみせるシーン。
果たしてどこまでがソクーロフ自身の脚色によるものか分からないが、これら数々のシーンは観る者を(日本人ならば尚更のこと)居た堪れない気分にさせるに違いない。
ちなみに、主演のイッセー尾形の演技は、「素晴らしい」の一言に尽きる。
昭和天皇の特徴をよく掴んでいることももちろんであるが、それ以上に彼の演技は普遍的な日本人特有の、(外国人の目にはしばしば奇異に映るかもしれない、しかし、ときにユーモラスですらある)不自然さ(?)を実に見事に表現しているように思う。言い換えるならば、彼は日本人全体の“表象”を体現しているのである。
現在この映画は日本公開の目処が全く立っていないという。この先も、公開に名乗りを上げる配給会社がそう簡単に出てくるとも思えない。
しかし、間違いなく、この映画はもっと多くの日本人によって観られるべきものであると僕は確信する。
映画のラスト。佐野史郎演じる侍従と天皇はこの映画のテーマを象徴するかのような、短くしかし重要な会話を交わす。果たして、侍従の発する言葉を、一人の人間としての昭和天皇はどう聞いたのであろうか。
純粋であることのいかに悲劇的であることか・・。
この映画を観つつ僕はそのようなことを漠然と考えた。
ちなみにそのチョコレート、GoogleでHoustonとRogers chocolateで掛け合わせてみたけど何もヒットしませんでした。そもそも、そんな高級チョコを売ってるような場所にはほとんど近づかないからなー・・・
っていうか、ヒューストンより東京のほうが売ってそうな気がするけどな。
今度、Vancouver在住のダイアンさんに聞いてみましょう。
ちなみにRogersのNutcornsは日本からでも買えるみたい。でもね、6袋でカナダドル81ドル。日本円にすると、8500円くらいだよ。
高すぎるわ・・・高すぎる。
そっちにないの?
チャンスがあったら是非見てみてください。凄い映画ですよこれは。
それと、メールどうもありがとうございました。面白そうですね。僕もトライしてみます。
全く関係ないのですが、
メール送ったので、見て見てください・・・