以前このブログにも書いたマイケル・ムーアの新作“Fahrenheit 9/11”がなんとカンヌでパルムドールを獲得した。
ヨーロッパ的リベラリズムに未だに期待を持っている僕としてはとてもうれしいニュースだ。
いかにもアメリカとは一線を画すフランスらしい粋な受賞と言えるかもしれない。
ドキュメンタリー映画のカンヌでの受賞は1956年のジャック・クストー監督(撮影はルイ・マル)の“沈黙の世界”以降実に48年ぶりのことらしい。
この受賞が今後アメリカ国内での公開の弾みになればと思う。
一方、昨年来続くアメリカ国内の動きにも僕は注目している。
昨年のアカデミー賞受賞式において、
“ボーリング・フォー・コロンバイン”がドキュメンタリー映画賞を獲得し、あの有名なマイケルムーアの名スピーチが生まれたわけであるが、
それとともにオスカーを獲ったのはポランスキーの“戦場のピアニスト”だった。
そして、反戦映画ではないけれどもハル・ベリーの“チョコレート(原題Monster’s Ball)”も主演女優賞を受賞した。
あの受賞のラインナップを見たとき、僕はアメリカの懐の深さを見た思いがした。
アメリカは誤った方向を自ら修正できる力を持った国なのかもしれない。
僕の抱いていた帝国覇権主義に対する危機感は実は杞憂に過ぎないかもしれない。
あのときのアカデミー賞授賞式にはなんとなくそんな雰囲気を感じた。
“ボーリング、、、”や“戦場のピアニスト”はもちろんのこと特に“チョコレート”の受賞はちょっとした驚きだった。
この映画の受賞は、超低予算の小作品が並み居る強豪作品を相手にアカデミー賞の舞台でも充分闘えるということを証明して見せた。
ある意味、過熱するハリウッド商業主義、ひいてはグローバリズムに対するシンボリックな意味での警鐘ではなかったかと感じる。
この秋、いよいよ大統領選挙が目前に迫っている。
マイケル・ムーアの受賞はアメリカを変える原動力になりうるだろうか。
ヨーロッパ的リベラリズムに未だに期待を持っている僕としてはとてもうれしいニュースだ。
いかにもアメリカとは一線を画すフランスらしい粋な受賞と言えるかもしれない。
ドキュメンタリー映画のカンヌでの受賞は1956年のジャック・クストー監督(撮影はルイ・マル)の“沈黙の世界”以降実に48年ぶりのことらしい。
この受賞が今後アメリカ国内での公開の弾みになればと思う。
一方、昨年来続くアメリカ国内の動きにも僕は注目している。
昨年のアカデミー賞受賞式において、
“ボーリング・フォー・コロンバイン”がドキュメンタリー映画賞を獲得し、あの有名なマイケルムーアの名スピーチが生まれたわけであるが、
それとともにオスカーを獲ったのはポランスキーの“戦場のピアニスト”だった。
そして、反戦映画ではないけれどもハル・ベリーの“チョコレート(原題Monster’s Ball)”も主演女優賞を受賞した。
あの受賞のラインナップを見たとき、僕はアメリカの懐の深さを見た思いがした。
アメリカは誤った方向を自ら修正できる力を持った国なのかもしれない。
僕の抱いていた帝国覇権主義に対する危機感は実は杞憂に過ぎないかもしれない。
あのときのアカデミー賞授賞式にはなんとなくそんな雰囲気を感じた。
“ボーリング、、、”や“戦場のピアニスト”はもちろんのこと特に“チョコレート”の受賞はちょっとした驚きだった。
この映画の受賞は、超低予算の小作品が並み居る強豪作品を相手にアカデミー賞の舞台でも充分闘えるということを証明して見せた。
ある意味、過熱するハリウッド商業主義、ひいてはグローバリズムに対するシンボリックな意味での警鐘ではなかったかと感じる。
この秋、いよいよ大統領選挙が目前に迫っている。
マイケル・ムーアの受賞はアメリカを変える原動力になりうるだろうか。
その意味では、日本だって捨てたものではないと思います。政府の政策に対して、力は弱くても、きちっとチェックをいれる人々は大勢いますからね。油断をしてはいけませんが、日本に対しても悲観的になることはないと思っています。
ただ僕の住む東部に関していえば、どちらかというとリベラルな人が多いようで、私の周りでもブッシュに対する批判的な意見をよく耳にします。街を歩いていてもジョン・ケリーTシャツを着た人には時々出会いますがブッシュTシャツを着た人には未だ出会ったことはありません。
もちろんだからといってそれがアメリカ全体の空気だとは私も思いません。
特に南部出身者から言わせると東部はインテリぶった金持ちのいけ好かないリベラル野郎が山のようにいる地域だそうですから、、、
しかし、これだけ人気も、知名度も、そしてカリスマ性もなかったジョン・ケリーを一大統領候補としてここまで引っ張りあげてきた流れは確実にアメリカ国内に存在します。ブッシュを勝たせてはいけないという強い危機感を持った人はかなり多いはずです。
そして、もし本当に民主党が勝てばおそらく一気にアメリカは方向転換する可能性があると思います。
(あくまで個人的見解ですが、、)
一方官僚主導である日本の場合、トップがもし入れ替わったとして、果たしてどこまで政策が大きく変わり得るでしょうか?
何となく不安な感じがします。
(とはいいつつ、私も一日も早い政権交代を願っている者の一人ではあるんですが、、)
政権が変わると本当に政策ががらりと変わりますね。
日本は?昨年の選挙のマニフェストとかも、
おおむね票目当ての公約ばかりで、
国家100年の計、と呼べるものとは
かなり距離があったと思います。
米国のように、政権交代可能な二大政党が
ある、ということが政治に良い緊張感を生むのならば
よいことですね。(メディアを使ったネガティブ
キャンペーン合戦までまねしたくはないですが。)
藤井さんの以前おっしゃっていた緑の会議が、
力は弱くても、きちっとチェックをいれる人々という
ことなのですか?かつて日本にもドイツのものを
手本とした緑の党があったように記憶しているの
ですが、二つは関係のある組織なのですか?
実際には米国にも共産党や緑の党もあるようですが、国政にせよ自治体政治にせよ、二大政党以外が出てくることは稀ではないでしょうか(確かめた訳ではないので間違っているかもしれません)。
しかも、二大政党の政策がかなり近くなっていることから、世論が一気に同じ方向を向いてしまう危険を感じる訳です。
私個人の考えでは、今のブッシュ政権の政策が極端過ぎるという意味では、大統領選でケリーが勝ったとしたら、政策が大きく変わることが期待出来ますが、共和党から民主党への政権交代ということでは、それほど大きな変化は無いのではないかという意見です。
一方の日本の場合は二大政党に近づいてはいますが、二大政党とは大きく異なる政策を持つ共産党や社民党の議員がいるし、共産党員の首長もいますので、チェック機能が働く余地があると思います。
私は、米国よりはヨーロッパの国の政治体制の方にどちらかといえば好感を持っています。
「みどりの会議」も現在の日本の政治体制でいえば、チェック機能を果たす政党だと考えています。
国政に議員を出しているという意味では、「みどりの会議」が日本で初の緑の党です(実際には、参議院の東京選挙区から無所属で当選した中村敦夫さんが、当選後に「みどりの会議」を立ち上げた形だったと記憶しています)。
緑の党のようなグループは以前からあったと思います(余談ですが、「走れコウタロウ」の山本コウタロウさんも以前緑の党のようなグループで参議院選に挑戦したことがありました)が、大きな勢力にはならずにきています。それらと、「みどりの会議」とは直接関係は無いはずですが、同じような人たちが支持していると思います。
日本は20年遅れで欧米に追従しているとよく言われますが、ちょうど今まさに日本では二大政党論がもてはやされていますね。
なーんにも変わらないよりは少しずつでも変わっていけるほうがいいとは思いますが、
二大政党制イコール理想的政治形態であるとは僕も思いません。
なりかねないですからね、日本だと。
山本コータローさんは、たしか地球クラブでしたか。
まったくムーブメントにはならず、ミニ政党の一つとして
埋もれて(終わって?)しまいましたね。
環境問題も、バブル期に企業に余裕があったときには
「地球にやさしい」などといって、社会に貢献すべく
ということでいろいろやっていました。
不景気の今、ずいぶんと各企業のかけ声も小さくなり、
結局あちこちにホールをたてるのと同じようなノリで
あったのだろうか、と、思ってしまいます。
いろいろな方が地道に環境問題に取り組んで
いらっしゃるはずなのですが、大きな政党が環境に
ついてあまり目に見える取り組みをしていないのは、
やはり票につながりにくいからなのでしょうか?
環境問題に本気で取り組もうとすると金と手間と根気が必要であり、結局は義務感だけでやろうとすると長続きしにくいんでしょうね。
自分のブログでも書いていますが、出来ることから無理無く始めるのがミソだと思います。それと、更に大切なのは、いかに楽しむかですね。
例えが適切でないかもしれませんが、今日の朝日新聞に野草を美味しく料理するという記事があったのですが、「野草なんて不味くて食えるか」という常識を楽しみながら乗り越えていっている例だと思います。
私自身は身近なところから政治参加を心掛けています。
藤井さんのおっしゃるように、
構えず、出来ることから意識を高めていく、
というスタンスがとれれば Best なのかも
しれませんね。