本年度のアカデミー賞とゴールデングローブ賞の最優秀外国語映画賞をW受賞したデンマーク映画“未来を生きる君たちへ”を見る。
原題はデンマーク語で「復讐」を意味する“HǼVNEN”。
アメリカ公開時のタイトルは「In A Better World」。
そして日本語タイトルは「未来を生きる君たちへ」である。
一見、かなりダサいタイトルだが、デンマークの原題“復讐”からすれば、それでもかなりポジティブな響きがある。
この映画に伏流するテーマはズバリ“暴力”である。
一方的に、容赦なく揮われる暴力に対して、暴力をもって対抗することは果たして許されるか?
暴力の犠牲になる人々を、彼らが被っている以上の暴力を行使して救おうとする行為、あるいは、実際に暴力を振るっている者を、それ以上の暴力を行使して排除しようとする行為は果たして正当であるか?
有史以来、人類がたびたび直面してきたこの問題を、この映画は真正面から描こうとしている。
かつて平和主義者として知られた故スーザン・ソンタグ女史は、コソボ紛争におけるNATO軍によるユーゴ空爆を全面的に支持し「すべての暴力がひとしく非難されるべきものではない。すべての戦争がひとしく不正なものではない」と説いた。
僕も基本的にはソンタグと同意見だ。
ちなみに、僕のソンタグに対する共感は、何年か前のエントリーにも書いた。
「暴力に逆らって書く」
先にも述べたように、この映画のテーマは“暴力”である。その意図は、明晰にして判明である。非常にわかりやすい。
しかしその一方、意図があまりに明確であるために、この映画は鑑賞者にそれ以外の解釈を許さないという“欠点”も併せ持つ。
内田樹ふうに言うならば「閉じた自明性」ということになる。
鑑賞者は映画の内容を解釈する手間を省いてもらう代償に、誤解したり、曲解したり
深読みしたりする権利を放棄しなければならない。
なので、昔々に小学校の国語の時間にお勉強した「作者の言いたいことはなんでしょう」みたいな問いとその答えが容易に想起されてしまうという意味では、やや物足りなく感じる人もいるかもしれない。
とはいえ、こういった、ある意味素直で“ど真ん中の直球勝負”みたいな映画を見ていろいろ考えるのもたまにはいいのかなーと思った次第である。
原題はデンマーク語で「復讐」を意味する“HǼVNEN”。
アメリカ公開時のタイトルは「In A Better World」。
そして日本語タイトルは「未来を生きる君たちへ」である。
一見、かなりダサいタイトルだが、デンマークの原題“復讐”からすれば、それでもかなりポジティブな響きがある。
この映画に伏流するテーマはズバリ“暴力”である。
一方的に、容赦なく揮われる暴力に対して、暴力をもって対抗することは果たして許されるか?
暴力の犠牲になる人々を、彼らが被っている以上の暴力を行使して救おうとする行為、あるいは、実際に暴力を振るっている者を、それ以上の暴力を行使して排除しようとする行為は果たして正当であるか?
有史以来、人類がたびたび直面してきたこの問題を、この映画は真正面から描こうとしている。
かつて平和主義者として知られた故スーザン・ソンタグ女史は、コソボ紛争におけるNATO軍によるユーゴ空爆を全面的に支持し「すべての暴力がひとしく非難されるべきものではない。すべての戦争がひとしく不正なものではない」と説いた。
僕も基本的にはソンタグと同意見だ。
ちなみに、僕のソンタグに対する共感は、何年か前のエントリーにも書いた。
「暴力に逆らって書く」
先にも述べたように、この映画のテーマは“暴力”である。その意図は、明晰にして判明である。非常にわかりやすい。
しかしその一方、意図があまりに明確であるために、この映画は鑑賞者にそれ以外の解釈を許さないという“欠点”も併せ持つ。
内田樹ふうに言うならば「閉じた自明性」ということになる。
鑑賞者は映画の内容を解釈する手間を省いてもらう代償に、誤解したり、曲解したり
深読みしたりする権利を放棄しなければならない。
なので、昔々に小学校の国語の時間にお勉強した「作者の言いたいことはなんでしょう」みたいな問いとその答えが容易に想起されてしまうという意味では、やや物足りなく感じる人もいるかもしれない。
とはいえ、こういった、ある意味素直で“ど真ん中の直球勝負”みたいな映画を見ていろいろ考えるのもたまにはいいのかなーと思った次第である。
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