前回のブログで、森まさこ議員のブライダル利権について言及した。そこで、この利権なるものによって社会が構成されていることを強調した。で、社会構造に根ざしていることは、そう簡単に変えられないのではないかとも言及した。
理由は簡単、社会構造に根ざしていると自明性を獲得し、それを対象化することが難しくなることだ。ブライダル利権は税金の使い道という点で、まだ対象化しやすい事例に思えるのだが、そうではないことも多いはずだと思う。そこで、1事例あげてみよう。
ちゃんとした調査などしているはずもないので、演繹的な議論にすぎないことは断っておく。ある種の社会学的感覚だとでも位置付けておこうかと思う。
例えば教育費を無料にするとしよう。ちなみにれいわ新撰組は、そのようなマニュフェストである。僕も賛成である。なんせ僕自身が教育費に苦労してきた人間である。とはいえ、教育費を無料にした場合、以下のような問題が生じることが予想される。
1例ではあるが、学資保険について。子供が生まれると、将来の教育費を考えて学資保険に入ることがある。というか、庶民にとってはかなりの確率で入るだろう。あるいは多少安定した職業であったとして、教育費の負担軽減のために加入することもあるだろう。
当たり前だけれど、教育費が無料であれば、そんな保険に入る必要はない。詳しくは調べていないが、ヨーロッパではほとんどないと思う。起源としては、ヨーロッパではギルドなどの職能集団への医療保険から始まるが、学資保険のことはよく知らない。
少し前になるが、フランス人の友人に聞いたら、「ないと思う」と言っていたのだが、これだけでは確証できない。ここで確認しておくが、子供の将来のために学資保険に入るというのは、日本社会にとって自明なことだが、それは日本社会の構造によって作られた「現実」であるということである。
そして、この「現実」によって、社会が構築されてきたわけだから、この「現実」に合わせた仕事が作られ、その職業によって生活する者がいるという「現実」が作られている。よく「現実を見ろ」と現実主義者が宣うが、社会構造が生み出す現象のことが、その「現実」である。ここでは学資保険であり、それに依拠して生活する利害関心を持った人々である。
とすると、教育費無料の政策が実現すれば、学資保険に依拠して生活している人々が生活の糧を失う可能性がある。有名な保険会社が連なっている。当然教育費無料は利益を下げることになる。抵抗を生むのは必然であるし、失業者が生まれ、職業の移動も必要になる。
これは利権とは通常言わないかもしれないが、利権と同様の機能を果たすので、機能主義的には、学資保険は利権と等価になってしまう。そこで必要なのは、教育費無料にしても、困らない人が出ないようにしていく、教育費無料に伴う施策になる。
そういうことまで考えなければならないとすれば、中長期的変容を視野に入れていかなければならない。