ローマ時代の統治方法として知られるのは、パンとサーカスである。
当時のローマは世界帝国となり、人々が首都に流れ込む。彼らは中堅国民となり公民扱いされる。公民からは皇帝は支持を得なければならない。そこでとられた政策がパンとサーカスである。
公民にパンを与え、その寄生者となった労働者が退屈すると、見世物を提供した。彼らは政治に参加しているといった公共の生活に参加しているとの意識を失って行く。権力者の争いが絶えず、神秘思想が流行する。人々の不安の表れであったという。ローマは腐敗する。
非常に短くパンとサーカスを取り上げた。そこで現代である。
コロナ禍にあってもパンに困る人はいない。産業社会は人々の必需品を供給する力を持った。分配には問題がある。
人々はサーカス、つまり見世物に行けないとの不満を抱き、ストレスが溜まるという。スポーツ、大小規模のコンサートやショー、演芸、これらは中止されたり、縮小されての開催を余儀無くされている。最大のサーカスがオリンピックだろう。
テレビやネットなどの見世物は十分ある。Youtuberは現代の象徴だ。見世物を提供する側になることを人々は欲求している。有名性は現代の権力だ。
さてテレビを見ていると、グルメ番組や番組の中でグルメを扱うコーナーがあったり、パンとサーカスのパンが非常に多く取り扱われている。特に日本では食べ物を扱う番組が多いのが顕著である。こんなにテレビで食べ物が登場するのは日本の特徴ではないかと思っている。
食べ物にも付加価値をつけたり、差異を競ったり、ブランド化をはかったり、大変だ。
当然パンなのであるが、一味違うと感じている。大食い、人気の店、一風変わったレシピ、有名人の行きつけ、キャラ弁などパンがサーカスしている。企業が作った商品の紹介。もちろんブログで料理を紹介するのも、パンのサーカス化のようにみえる。食さえも見世物化しているわけだ。そして、それらに欲望を刺激され、再生産する。
たまにブログで落ち着いた食事の紹介をみると、浮ついてはいない生活を感じて、ホッとしてしまう。
まさかパンのサーカス化が現代の統治ということはないだろうか。政治的無関心や勝ち馬に乗る世論(popular sentiment)はサーカスへの耽溺から生じていると考えていると、僕は神経症なのかもしれない?