今年1年を振り返ると、結局いつも通りであった。
コロナで、お酒を飲みに行けないとか、ライブにいけないとか、旅行にいけないとか、それでストレス溜まるとか、そんなこともない。
コロナに感染しないようにとは気をつけて生活してきたけれども、生活自体は妻と二人で変化はない。仕事がリモートであることが多かったので、通勤電車に乗る必要もなく、楽になったぐらいで、よくなったぐらいだ。
そういえばコロナ疲れだとか言うが、僕は「コロナで楽」である。コロナは人類史的な出来事だが、僕個人では影響なんかなかった。
ただ社会を見ると、この日本が有する問題があらわになってきたように思う。もちろん政治や経済のこと。
僕が 向かうのは、お酒を飲みにいけないとか、ライブにいけないとか、旅行にいけないと思うような人間を作り出してきたことの方にある。
それらができないことをストレスとするような人間を生み出した時代や社会の枠組みを考えることに向かうようであり、そのことをコロナが自覚させてくれたように思う。
なんて言うのか、死や苦しみ、悲しさという人間の実存を隠すような作られた生の喜びに、人々が向かうことに対する違和感である。
この違和感を自覚させたのは死を考察する機会があったことだ。
少し例を挙げると、近代以前(中世)の人間は死を当たり前のように受け入れていたとされる。この近代以前と近代以降の人間の在り方、死と生の受け入れ方の違いとなんであるだろうか?
今年はそういう問いを手にいれたように思っている。
とすれば、問いを得たということだから、僕自身は変わっているわけだ。だから「良い年」であったということにさせていただきます。
来年もまた「良い年」でありますように。