文明と文化の違いについて、ハッとさせられる本があった。
浦久俊彦『リベラル〜アーツ 「遊び」を極めて賢者になる』インターナショナル新書2022である。
amazonにリンクできるようにすればいいのだけれど、面倒臭くて申し訳ないところ。
今現在の大学教育で行われる硬直化したリベラルーアーツのあり方に反省させられるような内容。ラディカルにかつ誠実で素晴らしい。その中で、文明と文化の違いを「土」をキーとして位置付けているところがあるので、そこのところをこのブログに書いておく。次のような定義がなされている。
「文化」とは、土に向かおうとすること。
「文明」とは、土から離れようとすること。(P209)
人間は土に還るというけれど、それは本当の本当である。全ての生物は死ねば土に還るわけで、その土には死んだ生物が含まれていて、その死んだ生物が変容しつつも、植物や生物に取り込まれて、その器官や身体を育む。石油だって天然ガスだって同じで、石油文明を築く現代の土台になっている。
土のおかげでわれわれ人間だけではなく、生物は生きている。そういえばハイデガーはそのような土の有り様を「大地性」と呼んでいた。そして人間は歩いているけれどま、その大地がなければ歩くこともできないのに、そのことに気づかないとも。
加えて気づくのだが、昔の人は「土に還る」と当たり前のように知っていたのに、現代の私たちはその事実を知らないで生きている。やっぱり昔の人の方が事実を知っていたと思わざるを得ない。土は生命の営みの基盤、まさに大地であり、文化は土を耕すことである。
もちろん土は引き裂かれることもある。それが合わさって自然の中立性。人間の無力を知らしめてもくれる。ここで浦久さんは「文化」は「土に根を下ろして」の営為と位置付ける。僕はここで「位置付ける」という言葉を使いましたが、正確には、「そうなっている」ということだと思うところです。
その文化から離脱することが文明。土で家を作り、木材で家を作り、いまではコンクリートや鉄筋で。ついには高層ビルまで建て、都市を築く。このプロセスが文明なるものの進化であり、私たちはそれを享受する。これらはテクノロジーとして、私たちの生活を便利にし続ける。それで「文明」を土から離れる運動であると。なるほどなるほど。
でも文明も問題ばかり。便利にしてはくれるが、環境問題を作ったり、核の問題を作ったり。遺伝子操作は文明の力だが、文化から見ると、それはどういう位置付けになるのか、文明の方に耽溺すると気づかない。これは価値の問題だ。
こう文化と文明を整理してもらえると、私たちが何をしているのか視界が広がってくる。文化に根ざした、土を忘れてはいけない、そういう暮らしって何だろうか、そんな問いが立ち上がってくる。