保守はconservativeです。「con」は強調、「serv」は守るです。「守る」は「壊さない」ということです。ところで、conservatism保守主義ですから、主義です。特定の考えを強調する立場です。そうすると、保守とは保守主義とずれてしまいます。
なぜなら保守は理想や夢を語ることに危惧を持ちますし、そうすると、主義主張に警戒するのですから、自身の考えが主義であれば、自身の考えに警戒しなければなりません。
そこで保守とは、自らを保守思想であると語る必要もなく、常識を大切にする態度姿勢として現れます。僕はかつての日本には、そういう人物がいたと思います。ただこういう考えを述べようと思えば、それは保守であるとでも言うしかないでしょう。
だから、守るというよりは、壊さないという方がいいような気もします。ある種の否定弁証法です。
では、国家における保守は何をするのでしょうか。主義主張ではなく、単なる夢や理想を追うようなものにはならないし、仮定の上での課題に対処しようと変革をすることもないのです。脅威を煽ってはいけません。
そこで何が残るのでしょうか。国家は文化を作る主体ではありません。人々の生活から生み出されるのが文化ですから。ましてやイデオロギーなど重要ではありません。なぜなら政治は人間の思想哲学に関わる必要もありません。こういう人間精神の深いところを扱わないとなれば、最後に残るのは、浅いところです。
つまりは国民が普通に生活できるようにすることです。いや逆からいえば、国民が普通に生活できないような社会状況にはしないことです。国民の物質的生活の整備をすれば、事足ります。それが政治の役割となります。
以前小沢一郎が生活の党を率いて、「国民の生活が第一」と言っていましたが、まさしく国民の物質的生活を表してたように思います。ですから小沢一郎は保守政治家です。それが、なんだか随分リベラルに見えるようになっていますから、日本政治の軸が狂っているとしか考えられません。
次のグラフを参照してください。
https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20190728-00134320
日本では、先進国で唯一国民の所得が下がり続けています。世帯収入が持ち返しているのは、共働きが一般になっただけです。個人所得は減っていますから、当然そうなります。ちなみに430万程度です。
国民の物質的生活が下がり続けています。この25年で世帯年収は100万円下がっているのです。保守などと気取る必要もなく、政治がおかしいのです。1997年ぐらいからですかね。ずうっと続いています。壊し続けています。
やめましょう!