新聞配達の話でも書こうかと思っていたんだけど、やめまして。
元大阪府知事で、現在テレビのコメンテーターとして絶賛活躍中の橋下徹が、なんだかわからないこと言っているらしい。僕が馬鹿すぎるのだとしたら、こんなことを言ってしまって、申し訳ないと陳謝申し上げさせていただきますと、再度申し訳ないと・・・何言っているか自分でわからなくなってきた。
Yahooのニュースを貼っておきます。
橋下徹氏、ウガンダ代表の陽性者判明で「むやみに検査拡大を言っていた人たちは、これを見て反省して」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3020d3a134c886a176a856eb104bece9c993d290
ウガンダ人が陽性になっているのがPCR検査で判明したのだが、どうしてPCR検査の拡大を訴えていた人が反省するのか、意味不明である。
まあなんか大風呂敷でも広げたんだろうかと思うが、こういう人になびく人間が多くいるのも現実だ。ああやって言い切られれば、嘘も百編いえば、真実にでもなると受け取られるのだろうか。ただ現実は変わらない。嘘は嘘だ。
前も書いたんだけれど、小林秀雄が「考える」とは「かむかう」で、この意味は身体で交わることである。だから現実と交わったり、人と交わったりする中で、自ずと意味がやって来るということである。普通の“考え”では考えるのは頭だと考えるので、常識とは違う理解だ。
頭(脳)も身体の一部であるが、頭は概念を作り上げ、概念群を並列階層化する。そのため頭だけでは、身体で交わることができない。
大風呂敷を広げたというのは、頭の中にある概念群だけで、論理を構築しようとすることだが、当然身体が抜け落ちるので、現実を捉え損なってしまう。現実を無視するので、頭の中だけで整合性を作り出せる。その整合性に、われわれは「頭がいい」と思ってしまう。
現在の「頭がいい」は、こういうものだろう。ギリシャ時代のソフィストみたいなものだ。現実を見ないで、同語反復的に頭の中の図式を適応しているのだろう。
そういえば、オリンピックやるそうですね。1964年のオリンピックの思い出を語って、今の国民にも感動を与えたい程度のことを言っていた人がいましたよね。あなたの思い出は、頭の中のことですよ。いま目の前にある現実を見ないという点で、「かむかう」ことを全くしないのですが、国民と共に親身に付き合っていれば(よく考えていれば)、国民をよく知っているので、何をするのかよくわかる、ということになるでしょう。
考えるとはそういうことだと思います。