今日スマホを変えた。
スマホなんて、たいした使いもしないのだが、ストレージもいっぱいで、動きも悪くなってきた。もう4年ぐらい経つらしい。
技術は日進月歩だそうだが、僕の方の歩みはのろい。機械が人間に合わせるのではなくて、人間が機械に合わせるのだろうと、諦め半分だ。
そう言えば養老孟司が、AIが人間に似るのではなく、人間がAIに似るのであると、痛快な言葉を履いていたなあ。その心は、人間はその場でやりくりする柔軟性があるとか、答えがなくても対応するのに、機械はコードで動くので、機械とは答えがある世界のことでもある。
これでは、人間もコードで動くようになるだろう、やりくりする力を失うだろう、柔軟さを失うだろうということだ。そのため答えがあることを前提に人間も動き、そういう文化に変貌する。まあ人間が機械(ロボット)に近ずくというのだが、当の人間はそれを進歩だと自惚れるという話だ。
次が機種変して手に入れた新しいスマホだ。yーmobileのHPから。
なんだか新しいスマホで、新しい設定をしたり、データ移行をしなければならない。
便利どころか、面倒くさいよ。
途中店頭でも、手続きが面倒になってしまって、「また来ます」とごまかそうとしたのだが、妻に怒られた。妻は「どうせ逃げられないのだから」というが、僕は逃げたいのだ。このようなスマホの闊歩する世界から・・・(笑)
月々1000円安くなった。「本当はガラケーでもいいのに」と言ったら、妻に「もうガラケーはない」とピシャリ。適当なことを言うものではない
何が正しいのか?「答えはない」ということだけは正しいようだ。