さて靖国神社のA級戦犯合祀について、日本の宗教文化から接近すると、どう考えられるだろう。
A級戦犯は平和に対する罪として、国際軍事裁判所憲章として通例の戦争犯罪に加えて、新しく罪とされた。これは東京裁判だけではなくニュンベルク裁判でも使用された罪である。というか、ニュンベルク裁判に準拠したのが東京裁判である。国家の指導者的立場にあった重大戦争犯罪とされた。
ここでは、この裁判やA級戦犯の合法性については議論する気はない。あくまで宗教的な文化風土の問題として取り上げている。ちなみにB・C級には問題とみなさないのだから、A級、つまり国家指導者を問題としていることを確認しておきたい。これや中韓同様の態度であるから、近代国家・主権国家の権力の責任を問うていることになる。
これまで論じてきた通り、山折さんによれば、日本は「死者を許す文明」である。この宗教文化の無意識的といって適応は、靖国神社へのA級戦犯の合祀を必然とする。ましてや国家指導者たちの無念、実は「祟り」を恐れれば、合祀することで、英霊として祀ることは文化的正統性に則っているとするのだろう。だから日本国内の問題としてのみ扱えば、当然であるのだろう。死んでまで罪があると言われることは、確かに日本人の文化に合わないと思われる。だから、彼らを靖国に葬る。
ところが、これは国内問題で止まることではない。当然だ。世界中の国々と戦争をしたのだから、相手国の納得を得る必要がある。しかしながら、文化が違うのだ。
ハンチントンが言うように世界は7つの文明圏にあり、その1つが日本である。繰り返すが、文明が1つの国家の枠組みと一致するという他文明とは異なる文明なのである。他文明であれば、国家が違うことで、国家間の交易で文化的コミュニケーションを発達させることができる。いきなり他文明と接触する前に、他国との文明ではない文化的衝突を緩和する術を持つに違いない。
日本もまた同様のように思われるが、実際には戦争時の日本の他国との交易や交渉は常に非対称的、力関係のみに制約されていた。簡単にいえば、植民地になるか、植民地にするのか。植民地にすると、日本文明を押しつけているのだが、文化的には寛容かのような矛盾した体制になってしまう。
それがあらわになったのが、朝鮮や中国との関係であったと思われる。東アジアの人たちとの文明あるいは文化の違いが顕になるのが、靖国問題とも言えるのだろう。日韓基本条約(1965)からから55年以上、日中平和条約(1978)から40年以上、それ以上の長い歳月の間に醸成した違いこそが、問題の解決をさせないのであろう。
歴史教科書問題、日米安保の位置付け、靖国の首相参拝、日本から見ても問題と見えることには文明の深層が横たわっていると思う。
次回は中国の死者への態度を見て比較しようと思う。