ここで少し個人的なことを。
僕の妻は中国人である。そのため文化的な違いを実感することがある。当然死に対する考えの違いもあるのだ。
どうも中国人一般の人々は、次のように信じているようだ。人が死んだら、18年経つと、新たに生まれ変わる。輪廻転生のひとつだろうか。妻の父親が亡くなって20年以上になる。よく妻は「18年・・・」と話していたのだが、父親が亡くなって18年経ったから、今新しい命となり、どこかで生きていると言うのである。僕はそれを聞きながら、「そういう風に考えてるんだあ」程度に受け止めていた。これは妻だけではない。中国の親戚、妻の中国人の友人も同様の考えがあるようだ。
死に対して、どのような位置付けをして、死者をどう位置づけるのか、死後どのような世界を描くのかは、当然だが、文化に拠るところである。日本人のそれらも同様である。
夏になると、沖縄戦の被害者の骨を探す人々がいる。ちょうど僕が大学生の頃、御巣鷹山に飛行機が墜落した。その時の被害者の骨を探す遺族がいまでもいる。同僚のフランス人が理解できないと言っていたのを思い出す。でも、日本人である僕には理解できてしまう。
死をめぐる人々の思いは文化の違いがあらわになる。この文章では、日本では「死者を許す文明」であり、その背後には「祟り」を恐れる宗教が控えてきたと論じてきた。
中国には「死者を許す文明」ははない。はっきり言えば、「死者を許さない文明」であると、山折さんは指摘する。ここで勘違いしないでほしい。文明に優劣があるのではない。中国嫌いの人であれば、「だから中国人は酷いことを平気でするんだよ」などとしたり顔で言いそうだが、日本のそれも、祟られるのが恐くて作られた忌避でしかない。そのようなプロセスで「死者を許す文明」と観念化され、中国のそれは「死者を許さない文明」と観念化されている。
このような文化間での考えの違いは、レヴィ=ストロースの西洋中心主義批判と同じ図式化(ダイコトミー)であるが、どうしても自分が正しいと思ってしまう(自文化中心主義)ので、そこを相対化したいとは思う。
中国では「死者を許さない文明」であるとされるが、山折さんは中国の伍子胥(ごししょ)の話を取り上げている。詳細は省くが、伍子胥は死体に鞭打って生前の恨みを晴らした政治家である。孔子の時代であるが、ここから「死屍に鞭打つ」との言葉ができた。この伍子胥も「死屍に鞭打」たれることになる。因果応報である。
日本では死者は許されるが、中国では死者といえども許されるどころか、墓から引きずり出しても恨みを晴らすのである。これは中国で一過性のものではなく、歴史的に受け継がれているという。中国の恨みは、日本の「祟り」のように、死者をカミとすることではなく、生者と同様、死者も生きているとして扱い、恨みを晴らすのである。
ここから発見できるのは、日本では生者と死者を分かつ文化であるが、中国では生者と死者(死体と言ったほうがいいだろうか)を同一の存在として扱う文化である。ここに中国人の「愛」と「憎」の伝統文化があるという。日本が「祟り」「鎮め」の文化であるとすれば、中国は「愛」と「憎」の文化であろうか。
これは両文明の中で培われた文化文明、生と死に対して、どのような観念を加えてきたのかという問題である。ちなみに西欧においても、死んでしまえば許されるということはない。ヒトラーを思い出せばいいのだが、生きている時悪行を重ね死んでしまったら、そのような悪行がどうしておきたのか、二度と起こさないという考えで文化を作ってきたと思う。これはヒトラーという死者を日本的にも、中国的にも扱っていないことは、わかりやすいだろう。おそらく西欧的近代的な、あるいは科学的なものの見方が、我々よりも色濃いのではないだろうか。そのうち考えてみたい。
そして、朝鮮半島はどうであろうかという問題が残る。