Drマサ非公認ブログ

薩長史観が揺らぐことの意味

 前回米国覇権が揺らいでいるのではないかと書いてみた。それからネットで検索すると、似たような事を指摘するものもあった。だから、そういう兆しなのではないかと。

 そして今日本社会は揺らいでいるように見える。特に政治であるが、経済も生活も。

 先日の安倍の国葬儀の時、菅さんが追悼の言葉で山県有朋の言葉を引用して、随分と高評価であった。ただ僕はそういう風には取れなかった。山県といえば明治維新推進の立役者の1人で総理大臣を務め、のちの元老として権勢を誇った人物だ。

 とはいえ、長州藩の足軽から日本社会の支配者になったのだから、その業績やらは大変大きいものであったということになっている。そこで作られた現在までの日本史は薩長史観とも言われる。薩長の活躍で、バカな徳川?を倒し、日本近代の道筋を作ったという物語である。

 だから菅さんが山県を取り上げて安倍さんの業績に賛辞を述べたのが、なんだがいまだに薩長史観を繰り返しているように見えてしまった。なんせ安倍さんは山口県、つまり長州藩ゆかりだから。そして、日本社会の中心は薩長であることが続いているような目眩を覚えた。

 ところが最近薩長史観に揺らぎが起こっている。特に長州藩が行った行為は実質テロであるという認識が浮上してきている。そこで明治維新を新たに見つめて、真の歴史認識への道が出てきている。山県有朋はテロリスト?随分暴力的ではないか、そういうことが頭をめぐってしまったのだ。

 例えば明治維新の過ちを指摘する出版が増えていたり、NHKがそういうニュアンスで番組を作ったりなどの動きがある。なんせ保守というか右翼の人たちもまた、安倍国葬儀を批判するだけではなく、薩長史観に疑義を発している。ついでに言えば、明治維新という言葉は当時は使われず、御一新であった。

 だから菅さんの追悼は何だか薩長史観を強化しようとするようにさえ思えていしまったのだ。そのような見方が浮上してしまう。

 緩やかな宗教である神道が皇国史観となり、太平洋戦争に向かう、そこに薩長史観が重なって見えてしまう。今揺らいでいるのではないか。

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