社会的共通資本で知られる経済学者宇沢弘文先生が、かつて次のようなことを言っていた。
2001年の9・11の米国へのテロは、米国覇権が終わろうとしている兆しではないかと。ちょうどギボンの『ローマ帝国衰亡史』を念頭においてだったと思う。ローマの栄光も永遠ではないのと同様、米国の覇権も永遠ではないと。
日本であれば、「驕れる者も久からず」っていうことで、無常を見るが、米国は何を見るのだろうか。
ウクライナ戦争はロシアへの非難に傾いているし、どうも米国はこれを利用して、ロシア勢力の国際的弱体化を狙っているように思う。しかしながら、その策略は決して上手くいっているわけではない。米国よりであるはずの欧州各国が足並みが揃っているかというと、意外にそうでもないようだ。
天然ガスの供給を巡ってロシアとも上手くやって行こうという国は多い。何と言ってもドイツ。あと、米国のやり口をよく思っていない国々は多い。別に中国とかインドのような大きな国ではなくてもアジアやアフリカの国々はそうとしか見えない。
だから、このウクライナ戦争もまたアメリカ覇権が低下する現象ではないか。そういう歴史の只中にあるとすれば、米国追従の日本の未来は暗い。
僕はどこかで日本人を信じている。自民党の愚行に諦め気分まで生じてはいる。ここでまた宇沢先生に登場願うと、日本人の優れた点は「やさしさ、謙譲、心のゆとり」ということになる。
この20年余り、新自由主義的世界観が広がり、競争社会で生き残るために「やさしさ、謙譲、心のゆとり」を後退させ続けてきた。自民党の連中や日本社会の中枢はまさに「やさしさ、謙譲、心のゆとり」を後退させてきたという気がする。
それでもなお、日本の庶民はそうではないという期待は失わないでおこう。米国覇権が後退するという歴史が後押しするような気がしている。