精神分析の岸田秀がネズミの神経症実験を紹介している。
ネズミをT字路のスタートラインに置き、突き当たって右に行けば餌、左に行けば電気ショックという仕掛けを作る。右を明るくしたり、左を明るくしたり、色々と条件を変えて不規則性を作っても、ネズミは右に行くようになる。餌に向かう。ネズミの条件反射である。
ところが右に餌、左に電気ショックを反対にしたり、明るさを不規則に変化させると、ネズミはどんな条件であっても、右側なら右側、左側なら左側に曲がる反応が固定化される。
右側に行くという条件反射のネズミに対して、右側に電気ショックを与えても、何度も右側に進むようになる。これは状況を無視した固定的、強迫的反応という。
ネズミは規則性をつかめない状況におかれると、どうしていいかわからなくなり、根拠もなく同じ行為を際限なく繰り返す。そして、何度失敗しても新たな学習は生じず、過去と同じを繰り返す。創発性を失うのだ。
これは第二次世界大戦時、日本軍が負けることがわかっていても、神経症的に同じ行動をとっていく姿を示唆するのに挙げられる行動心理学の実験である。
人間とネズミを並列に論じるのは飛躍があるにしても、この状況を変えるには、つまり空気を変えるには「水を差す」以外ないと山本七平は指摘する。
都知事選はもっと「水を差す」ほうがよかったかもしれない。
結構小池都知事に「水を差す」話は出ていたが、テレビや新聞では取り上げられなかった。ドイツのメディア論学者マンフレード・シュナイダーは、閉じた情報が開かれることが情報論的な意味での革命だという。小池都知事は閉じる戦略で思い通りになったようだ。ちなみにこれ独裁の方法。
神経症のネズミのように同じことを繰り返す、これが日本人の特性だとしたら?
それでも、やっぱり「水を差す」のも日本人であるとも思うのだ。
参考文献 山本七平・岸田秀(文春学藝ライブラリー)『日本人と「日本病」について』文藝春秋2015