コロナ報道はただ何人コロナになったとか、何人死んだとか、数字では意味が報道されない。統計数字は数字でしかなく、共感をもたらさない。いや共苦をもたらさない。
そこにある苦しみや悲しみを人々に伝えることこそ報道。
Brut Japanより
【コロナに引き裂かれた家族】
— Brut Japan (@brutjapan) December 2, 2020
祖父は自分の娘に「君を天国で探すよ」と最後の言葉をかけた。米ユタ州に住むリンジー・ウットンさんは、新型コロナにより母と祖父を失った。家庭内で蔓延したウイルスは祖父の命を奪い、その18日後、彼女の母を連れ去った。 pic.twitter.com/5ldPe2nuVv
日本では同様の報道がなされない。それは報道がコロナにあって苦しんでいる人、その家族との断絶を作る機能に終始する。自分の事としては受容されない。
消費してはいけない。受容することが大切だ。