Drマサ非公認ブログ

結婚について9

「第一話 実直な男の妻の話」では、節約重視、あるいは損得勘定で物事を量る男を夫にする妻の話がでてきます。夫の従弟が銀行職を投げ捨て未亡人と結婚することを報告に来ます。従弟は安定を捨て、恋愛に生きることを選択したのです。

 そこで、妻は自身の安定はしているが、見栄えのしない生活と見比べ、自身が幸せなのかどうかに疑問をもちます。ただ不幸ではないとは思うわけです。

 従弟が未亡人と結婚ですから、燃えるような想いが彼にあると想像できます。妻はそこに幸せをみてしまうのですが、すっきりとしないわけです。ここには幸せに対する二つのアイデアが錯綜しています。

 「大地」という点では、実は両者ともに「大地」が成り立っているのです。銀行職を捨てるということ自体が、「大地」にひび割れを起こすかのような印象を持つかもしれません。そうではありません。

 銀行を辞めたからといって、生活それ自体が成り立たないかというと、実は別問題です。これまで築いてきた、あるいは耕してきた「大地」が彼らの生活を成り立たせる土台となっていれば乗り越えられます。

 確かに「恋愛感情」は高じています。ただ「経済生活」という点では、銀行ほどの安定はないかもしれませんが、しかし「経済生活」が成り立たないわけではないでしょう。貧乏になることはあっても、貧困に陥るわけではないでしょう。

 さて二つのアイデアとは、ひとつはhappy(happiness)、もう一方はwelfare(wellbeing)です。両方とも「幸せ」とも訳されますが、違う概念です。happyは「うれしい」「よろこぶ」という心理状態を表す言葉ですが、welfareは「繁栄」「福祉」「福利」を表す社会状態を表す言葉です。

 ここで、あえて確認しておきますが、夫婦は通常男女一組の二人の人間関係を表す社会状態を意味します。ですから、夫婦はwelfareに親和的な概念ということになります。簡単にいうと、夫婦はwelfareという幸せを目的とする関係性であることが予想できます。ここに「繁栄」とか「福祉」という意味が組み込まれていることに着目してください。「福祉」ですから、安心安全、あるいは健康な生活を目的としているわけです。happyではないのです。

 われわれの社会は大きな勘違いをしています。人々の幸せを、金持ちになったとか、出世したとか、受験に合格したとか、彼女ができたとか、ブランドバックを買ったとか、オリンピックで日本が勝ったとか、乃木坂と握手したとかだと思っている面がありますが、それらはhappyであり、welfareではないのです。

 happyが幸せではないなどといっているのではありません。welfareが成り立っているから、happyを感じられるのです。

 子供が生まれて普通はhappyになれるのです。welfareが成り立っていなければ、子供ができたことを喜ぶことができず、子供を産んでいいのかどうかと思い悩むのです。なぜ悩むのか。welfareを喪失しているからです。

 人間の社会生活という水準では、「大地」はwelfareと親和的な概念なのです。

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