Drマサ非公認ブログ

財政破綻はしませんという理論について2

 僕が中学生の頃は国債は建設国債はいいが、赤字国債は良くないと習いました。その感覚でいうと、現在でも赤字国債は良くないと考えてしまうかもしれません。もう何十年も経ち、経済の成り立ちに変化が生じています。

 特にそう勘違いさせるのは国債がどう循環するのかという理論です。政府が国債を発行します。その国債を民間の銀行が買い取ります。その際、銀行が持つ人々の預金(金融資産)を政府が吸い上げると考えます。ですから、国債を発行すると、銀行の金融資産が減ってしまうと考えるわけですが、そもそもそれが間違いです。

 実は逆なんです。国債が発行され、銀行が買い取ると、銀行の資産は増加するのです。それは貨幣の不思議さから来ています。

 ということで、貨幣について整理しましょう。僕は経済学者ではありませんが、貨幣は時間的な存在だと考えます。

 例えば、今砂糖が10キロあります。将来的に油10キロと交換することにします。ただ、菜種の収穫時期はまだで油はできていません。しかし、将来交換しようと思います。そこで油業者は油の代わりに貨幣で砂糖を買います。僕たちは砂糖業者が儲けたと考えます。実はこの貨幣は借用証書にすぎません。貨幣は両者の信用があるから成立します。砂糖業者は借用証書である貨幣を油業者に渡せば、油が手に入ります。将来油が手に入ることが約束されたと。なんせ借用証書ですから。

 この時、誰が負債を背負ったことになるでしょう。実は砂糖業者です。なぜなら、この時点で損をしているのは砂糖業者です。砂糖業者は砂糖を失い、紙切れを手にしただけです。欲しい油が手に入らないということは、すなわち損をしているわけです。つまり、貨幣とはその原型は借用証書なのです。砂糖業者が儲けたと考えますが、その原型は砂糖業者が油業者に対して負債が生じたのです。

 油が採取されると決済されることになるわけです。ですから砂糖業者の負債がなくなるわけです。そこで貨幣は廃棄すればいいわけです。なんせ二人だけの間で交わした約束が記してあるだけだからです。もし、油が必要ないと砂糖業者が主張し始めたら、油業者は油を引き取れと文句をいうしかありません。お前に金(借用証書)渡しただろうと。お前を信用して借用証書を書いて砂糖をもらってあげたのに、信用を裏切るのかと。

 僕たちが人から何かを贈られたとします。そうすると、何かお返ししなければならないと感じます。いわゆる贈与論です。この「お返ししなければ」という感覚を形式化、実体化したものが貨幣です。貨幣と名付けれれるにはまだ早いですが、この時点では単なる約束を記した紙なのです。贈与論からしても、お金は借用書になります。

 贈与論では、返済しなければならないというのが義務や責任を作るとされますし、これら贈与され、返済することが社会関係を作り出すとします。贈与は全体的な社会関係を構築するとされますが、裏返しに返済もまた全体的な社会関係を構築するのです。面白いもので、だれかに返済する義務、負債が生じると貨幣が生み出されます。

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