明けましておめでとうございます。
「1年の計は元旦にあり」は1年の計画は元旦に立てるべきということだそうです。しかし、そんな計画を立てて見たところで、その通りいかないものかもしれません。それでも何をすべきかということを確認することに意味がないかというと、そんなこともないような気がします。
元々は中国の故事ですが、穀物の育てる計画は最初に立てるべきということですから、人生設計や今年の目標を意味するわけではないような気がします。当時は穀物を育てることが即ち生活であったかもしれないですが。
そもそも僕は計画性がないので、元旦は自身が大切にする言葉の確認をする日にしておきます。それは以下に引用します。
「金や評判のことばかりに汲々としていて、恥ずかしくないのか。知と真実のことには、そして魂をできるだけすぐれたものにすることには無関心で、心を向けようとしないのか」(『ソクラテスの弁明』より)
2400年以上前の人間も現在の人間もどうも同じようなものらしい。科学が発達しようが、情報が増加しようが、物質的に豊かになっても、人間が「金や評判のことばかりに汲々として」いることは変わらない。
引用した文章の後半はまたプラトンの著作を読みながら考えるとしておこう。前半部は資本主義が発達して、なお「金」に汲々としなければならない社会システムになっているので、より汲々としている。
「評判」については、例えばSNSが発達して、登録者数や「いいね」に拘泥したり、有名性やブランドなどへの嗜癖に現れているような気がする。
ということで元旦は次のことを確認。「真実」「魂をできるだけすぐれたもの」になるように、このことを意識して生きていこう。その内実は実は知っているというのが想起説だったので、ちゃんと想起できるようにと意識して行くことにします。
元旦から独り言でした。