銀の人魚の海

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遺体 震災、津波の果てに 石井光太著

2023-02-05 | 本、雑誌

11年10月刊、新潮社、東日本大震災から半年位の発刊。77年生まれ。作家。

ブックオフで著者の「本当の貧困の話をしよう」17歳へ、という本を買い読み、

家族が他も読んだよ、視点が面白い、という。知らなかった。

震災から3月で12年、図書館でこれを選び借りた。

著書が多数。Amazonかのレビューで本書が、あるノンフィクション賞に

ノミネート、審査員が、これはホントは小説ではないか?と言ったとあった。

興味を持った。どういう書かれ方なのかと・・

震災、知らなかったことが山のようにあった。

私もあの日は、大渋滞の中、さらに都心へ車で家族を迎え、普通2時間以内で往復可

なのに6時間位かかった。人生初だったが、そんな事は、これを読めば

大したことではない。

著者は14日に取材のため新潟経由で被災地へ入る。初めは福島、宮城などを見た。

街の半分が残っていた釜石市で2か月半を過ごす。週刊誌などへ現地ルポを送った。

固有名詞(本名)で当時の詳細な行動を書いた。15名くらいの方、市長、市職員、

民生委員、医師、歯科医師、消防士、僧侶、葬儀社員、陸上自衛隊、海上保安部。

遺体安置所に関わった50名への取材をまとめた本。中には、自分の家族と連絡が

とれない人も何人かいた。それより多数の仕事が待ち受けていた。

釜石市以外を含め、計200名以上と話したとある。

3週間にわたる安置所での様子。260ページ、ぎっしり続く。

著者の視点で彼らの行動をセリフつき、細かく書いている。

小説ともとれなくはない。が、震災初めの1か月、どれほど悲惨、地獄絵図だったの

かが、手に取るようにわかる内容で、それだけでも読んでよかった。

目次から、

廃校を安置所に、遺体捜索を命じられて、歯型という生きた証拠、土葬か火葬か、

12年経過、この時期に。安易に復興という言葉は使えないと、今改めて感じた。

ツナミはもちろんおおごと、街の半分を一瞬で襲った。

釜石市は漁業と老舗、新日鉄工場があり、2つの面を持った町だった。

内陸の工業地域は津波を免れ残った。遺体安置所で出会った人々の取材をした。

皆、信じられないツナミを見たその瞬間から始まる。

一番感じた事。遺体、というタイトルからもわかるように、

遺体をどうしたらいいのか・・町でこれほど多数の遺体をどう埋葬するのか、

民生委員、元葬儀社勤務のTが、自ら名乗りボランティアとして、

遺体安置所に最後まで残り、著者とも話す。

元中学校が安置所になった。初めは10名単位の死者、海よりの街がなくなった

とは誰も信じなかった。ツナミがそれほど大きいとは。

停電、携帯も不通、情報がなかったので、まさかそこまではだった。

翌日から遺体がどんどん増え、一体どのくらいの遺体が運ばれてくるのか・・

埋もれている遺体が多数ある。それをどうやって見つけていくか。自衛隊も入る。

家が破壊された人は避難所、お寺に入り寒い中、じっといた。

食料も不足。情報がなかなかない。

遺体の数は?もしかしたら100か、千単位になるのでは・・

他の自治体も町ごと壊れている。この町はどうなるのだろう。想像もつかない。

医師が検死に入り、歯科医師は身元不明時のため、口腔をみて記録する。

検視。医師たちは皆、ほぼ経験なく慣れない作業だった。

硬直があり、口がなかなか開けられない。医院が破壊されカルテがなければ、

口腔を見ても意味がないのでは・・とも感じた。何のためにしているのか・・

見ていて、これは私が歯の治療をした患者だとわかることもあった。

皆が、張り詰めた時を遺体安置所で過ごした。不明家族を探しに来る町の人々は、

いないとホッとし、出ていく。発見し見つかった、と慟哭する。

妊婦、幼児、赤ちゃんもいた。

Tはできるだけ、皆を気遣い、案内し励まし手助けをした。依頼され女性にメイクを

ほどこしたこともあった。

小さい町なので医師は検死で、知人だとわかることもあった。

他の人たちも、この遺体は、あの人ではないかなど、都心では考えられない近い人が

遺体になっていた出会いがあり、ショックを受けることも多かった。

遺族も混乱状態で職員などへ、怒鳴る、興奮し泣き叫ぶ姿もあった。

こんな場所にいつまでおいておくのか・・早く火葬をしてほしいと

懇願する家族もいた。

日が経過すると損傷が激しい遺体が増え、遺族に見せるのもどうかと・・

特徴をいい確かめた後、見せるなど、ショックを受けないようにした。

布でくるまれた多数の遺体が増え、これほどの数、火葬はどうするのか・・

棺の組み立ては。歯科医院のベテラン助手女性の父が天理教で、災害時のため

救援隊結成をしていて、彼らが組み立て作業を助けてくれた。

腐敗が始まってきていた。火葬場も初めは、燃料、ベルトの故障、電気不足で

稼働せず、日にどのくらい火葬できるか?ドライアイスはどのくらいいるか?

どこから運ぶか?難問だらけだった。

その時点で千以上の遺体がある。釜石の2つの火葬場だけではとても無理。

温かくなると腐敗がひどくなる。

他の自治体へ依頼しないといけない。身元不明者は土葬にという案も出た。

市長は苦渋の決断で、3月25日から土葬にすると20日に公表した。

人々はみな土葬は反対、また掘り返さなければならないからだった。

身元判明を先に火葬する、身元不明者は土葬と決めた。

その後、秋田、青森の自治体が火葬を引き受けてくれることになる。

ただ、そこまで長距離、時に雪も降る中、10トントラックで10遺体くらいずつ

運ばなくてはいけない。誰に頼むか・・消防団員が引き受けてくれた。

大変な搬送、トラックの後ろに遺族もバスで続く。

1日がかり、火葬場ごとに遺体をおろす長時間の大事な仕事だった。やりとげた。

順調に進み、土葬は中止になるかもしれない話もでた。

破壊された寺もあったが、残ったお寺、僧侶たちが会を結成、

団結し骨壺を一時預かる形をとってくれた。他県で火葬、だんだんと遺体が減り、

土葬はしない方向へすすんだ。

〇東日本大震災関連のドキュメントなどは、多数みて、ここへアップした。

本は初めてのような気がした。遺体、は、こうして骨になる。それが、災害では

どれほど大変なことか。淡々と皆の様子が書かれている。もし私が釜石にいたら、

どうなっていたのだろう、と思った。行方不明者含め2万近い方々へ、合掌。



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