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幕末史跡めぐり・其之二十四~江戸編⑧

2010年01月27日 | 幕末~明治史跡めぐり
1月27日(水)
今日は「豊島区」の会社に「面接」に行って来ました。
後日、結果連絡が来ると思うけど…多分「お祈り」かな。
やっぱり、1~2人しか採用しない中で「書類選考」が通るだけでも難関を突破したことになるんだけど、「面接」が受けられたからって「採用」とは限らないからね…
とにかく「狭き門」なんだよ…「書類選考」「1次面接」「2次面接」と続くんだもん…大企業じゃなくてもさ。
だから「自信」が無いや…でも「また次頑張ろう」って言ったって同じように「書類選考」から始まるんだもんね。
いつまでこんな「就活」が続くんだろうか…
今回「運気」が上向いてたのも「書類選考」が通過するまでだったのかもね。
いやぁそれでも「快挙」だったのかも知れないけど、「書類選考」に通ることがゴールじゃないからね…

さて「合理主義者」の俺は「豊島区」に行くなら「面接」後、どこに行こうか?と考えました。
まず「大泉学園駅」には「銀河鉄道999」関連のモノがあるらしいんだけど…「池袋」から更に「西」に行かなきゃならないんだよね…
なので、まだハントしてない「幕末史跡」が残ってないか探したところ、ありましたよ~
…と言っても、この「江戸編」はほとんど「墓参り」のようなモンだけどさ。
「面接」を受けた会社が「大塚」だったので、15:30に終わった後「大塚駅前」から「都電荒川線」に乗り「都電雑司ヶ谷」で降りました。
そして向かった先は「雑司ヶ谷霊園」でございま~す。

まず、これは『小栗上野介墓』です。(写真右は裏側です)
「小栗上野介(1827-1868)」は、俺の地元「横須賀」にも縁が深い人物ですね。

これは『千葉定吉(左)・千葉重太郎(右)墓』です。
ちょうど今「龍馬伝」では、「龍馬」が「北辰一刀流」に入門したところだよね。
「龍馬伝」では「千葉定吉」を「里見浩太朗」が、「千葉重太郎」を「渡辺いっけい」が演じていますね。
ちなみに重太郎の妹「千葉佐那(演:貫地谷しほり)」の墓は、ここにありません。
山梨県甲府市の「清運寺」にあるそうです。

これは『ジョン万次郎墓』です。
恐らく「龍馬伝」にも、そのうち「ジョン万次郎(1828-1898)」は出てくると思うんだけど…誰が演じるんでしょう?

次は歩いて「護国寺」に行きました。

これは「仁王門」です。

上にあるのが「不老門」です。

そして「観音堂(本堂)」です。
その「本堂」の右手の「墓地」へ行くと…

『田中光顕墓』があります。
「田中光顕(1843-1939)」は土佐出身で、「土佐勤王党」に加盟して元治元年脱藩しました。
慶應3年(1867年)には「中岡慎太郎」を首領とする「陸援隊」に加入しました。
維新後は新政府の要職を歴任し、明治末期には10年に渡って宮内大臣を務めました。

これは『大隈重信墓』です。
「大隈重信(1838-1922)」は佐賀藩出身で、「明治14年の政変」(1881年)で長州閥と対立して政界を追われ、「立憲改進党」を結成してその党首となりました。
「早稲田大学」は1882年、「大隈重信」によって創立されました。
8代(1898年)・17代(1914年)と明治・大正で「内閣総理大臣」を歴任しています。

これは『三条実美墓』です。

「三条実美(1837-1891)」は、明治維新期の公卿です。
幕末、尊皇攘夷派公卿の中心となり、長州藩と提携し、朝権確立と攘夷実現に奔走しました。
維新後は、右大臣、太政大臣という官職を歴任しました。

これは『清岡公張墓』です。
「清岡公張」は、安芸郡田野浦の郷士で「野根山殉難二十三士」の首領「清岡道之助」の弟です。
文久年間に上京して諸藩の志士と交わり、藩命により「三条実美」の衛士となりました。
兄「清岡道之助」については、2009年2月11日のブログを参照してください。

これは『山田顕義墓』です。
「山田顕義(1844-1892)」は、「松下村塾」の門下で蛤御門の変や大田絵堂の合戦、幕長戦争大島口の戦い、更には戊辰戦争、西南戦争にも活躍しました。

この中にも墓があったんだけど、誰の墓だったんだろう?
この「護国寺」には「山県有朋」の墓もあるんだけど、塀に囲まれてて見れないらしいです。(この写真が山県有朋墓では無いと思います)
今回の「墓探し」は、「青山霊園」や「谷中霊園」に比べると簡単でしたよ。
…ということで「幕末史跡めぐり」も、そろそろ「ネタ」が無くなってきました。
チャンスがあれば「下田」には行きたいんだけどね。

なんか昨日から風邪気味です。
でも…また金曜には「ハロワ」に行かなきゃ…
とにかく「ダメ元」でも、やり続けるしか無いんだよね…ツライなぁ。



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