HonuのMacDogMusic部屋

Macと愛犬と音楽を連れづれに

白河の陣2015-2 白河の関(続き)

2015年10月25日 | 歴史

<従二位の杉>
 鎌倉前期の歌人で宮内卿従二位藤原家隆が手植えし奉納したという樹齢800年、周囲5mの巨木がありましたが、私はその異形さに、ショヴォー氏とルノー君のお話集の「子どもを食べる大きな木」を想起し、走り回っている女の子がちょっと心配になりました。

<芭蕉忍者説>
奥の細道の行程が異常に早いのは、伊賀出身で忍者だという説があります。しかし忍者の時代ではないし、曽良の随行日記でおくのほそ道の日程の創作性も明らかになっています。実は公儀隠密の曽良が芭蕉を隠れ蓑にしていた・・なんちゃって。

 <芭蕉像>

 芭蕉像は関の森公園にもありますが、奥の細道の始まり地点(千住付近と曖昧なため、もめている隅田川両岸の荒川区と足立区でも、劣勢な方が最近銅像を建てたそうです。飯坂温泉には一句書いてほしかったラヂウム卵碑の側に芭蕉像があります。各地にあまた建てられた「芭蕉さんを巡る本物は誰だの旅」も一考かな。
これにて、白河巡検~芭蕉編はおしまいです。

S先生を囲む門下生の会~白河の陣2015
白河の陣2015境の明神は連星イスカンダル~ガミラスだった。
白河の陣2015白河の関(続き)

 

 


白河の陣2015-1 境の明神は連星イスカンダル~ガミラスだった。

2015年09月25日 | 歴史

◆旧奥州街道(国道294号線)白坂峠にある境の明神。

 まさに陸奥と下野の分岐点・・ですが辺りは木々も少なく見晴らしも良くこじんまりした社で、やや拍子抜けしていると、ガイドさんから「福島県にもあるんです。厳かですよ」と言われ進むと、何と県境を挟んで社がありました。うっそうとした古木に包まれた社は、幽玄な雰囲気を醸し出していた。

*国境の神には、玉津島明神(女神、衣通姫:そとおりひめ)と住吉明神(男神、中筒男命:なかつつおのみこと)あり、女神は内(国)を守り、男神は外敵を防ぐとされることから、陸奥・下野双方で自らの側を玉津島、反対側を住吉明神としている。2社が併存するのは極めて希とのことです。

◆陸奥側境の明神



 文禄4年(1595年)に白河を支配していた会津藩主蒲生氏郷が社殿を造営(現存するのは小祠)し、奥州・越後の諸大名や多くの商人、旅人の往来が盛んで、道中の安全を祈ったり、和算額を奉納したり、灯籠や碑の寄進が盛んに行われていた。新発田藩と南部藩の寄進した灯籠があり、芭蕉らの句碑や歌碑が建立されている。最近まで南部藩の子孫が住み守っていたそうです。

和算額の説明板 

 和算額の説明板には問題が記してあり、さすが理系のガチャピン君!その一つを解説してくれました。問題を解いて奉納するスタイル、福島県の学力向上策としてどうでしょうか。

◆従是北白川領

 蒲生氏が立てた「従是北白川領」標石。慶応四年(1868)4月20日に白河城を占領した会津藩は、藩境の標石「従是北白川領」を倒させ「從是北会津領」の木標を立てて士気を鼓舞したといいます。維新後は「白河以北一山百文」とさげすまれることになり、東北日報は、東北人の反骨の意思が込めて河北新報と社名変更した...




 ここが白河関の跡※だと思われており、芭蕉もここから待望の奥州入りしたが、本当の関址は別の所だと聞き、さらに東に向かった。我々も芭蕉の足跡を辿ることにした。


※白河二所之関跡の碑

(解説するガイドのTさん)

 昭和57年国士舘大学岩田教授が、南部藩の関守子孫の石井氏ともに、ここぞ古代白河の関跡であるという説を提唱した碑を建てられています・・う~む?
 


S先生を囲む門下生の会~白河の陣2015

2015年09月22日 | 歴史

 さる19日、小生とは会津時代にご縁があり、よわい40台にして教授となられたS先生をお迎えして、会津藩領民の門下生で白河詰めのお二人と小生とで白河巡検を行いました。とはいえ案内もままならないため、観光ボランティアのTさんにお願いしました。

 風情のある会津町「芭蕉亭」で顔合わせし、アレンジされていて美味しい白河ラーメンを食す間もなく、歴史と地域を活かす観光の可能性を領野とするS先生と見聞豊かで博識のTさんのハイレベルな会話に圧倒されつつ、(本来の意味で)ナイーブな20代の(ガチャピン&ムック似の)門下生の質問を適度な潤滑油としてスタートしました。

 半日という限られた時間であり、芭蕉の行程、戊辰戦争の西軍の進行の視点で名所旧跡を見て歩きました。そちこちから新たな発見や新鮮な驚きを得るとともに、歴史をめぐる交流から深い感動を覚えました。やはり旅はどこへ行くかより、誰と行くかが肝心なのですね。


S先生を囲む門下生の会~白河の陣2015
白河の陣20151 境の明神は連星イスカンダル~ガミラスだった。
白河の陣20152 白河の関(続き)


会津藩には幻の秘密兵器があった!?

2015年08月01日 | 歴史

何やら大河ドラマ「花燃ゆ」は、新しい歴史を切り開くトンでもない展開で絶好調ですが(^◇^;) 至誠を貫いた「八重の桜」が懐かしいですね。

西軍は無数のミニエー銃さらにはスナイドル銃、対する会津藩は八重のスペンサー銃と長岡藩河井継之介のガトリング砲以外は、旧式ゲベール銃。劣勢はあきらか、でも果敢に籠城し立ち向かって行きました・・。

10年ほど前、会津藩の幻の秘密兵器「誘導噴進弾」らしきものを甲賀口の近くで見たことがあります。ひょっとして幼児・女子教育の偉人 海老名リン女史の父で、北出丸の指揮官として戦った日向新介氏が関係しているのでしょうか?

これさえあれば、歴史は変わっていた・・のちの帝国陸海軍の秋水とか震電(Felix)なんかを想起しますね。そう言えば福島市にもありました。現在のサンルートプラザのところにあった中合屋上に・・・

言うまでもなく科学技術は諸刃の剣、大量殺戮や環境破壊のための道具は御免被りたいですね。


もうちょっとがんばろう白河~夏本番前夜の妄想編

2015年06月25日 | 歴史

白河は、歴史と自然のまち。北畠顕家卿の重臣 結城宗広ファンの私などは、胸きゅんですが、若者には、今ひとつ魅力的とは言いがたいようです。近年は市のキャラがダルライザー、小峰シロ、しらかわんと3つも誕生し、「ゆるキャラ大集合」イベント開催で新しい展開をみせています。とは言え残念ながら、年に1度の打ち上げ花火のような・・。

そこで提案!名勝「南湖公園」を「にゃんこ公園」と言い換えて、親和性を高めた展開はどうでしょうか。アプリねこあつめは海外でも大人気!きっと、おちびさんから若者、高齢者まで、万国老若男女の人気となること請け合い!にゃんこ団子、にゃんこ蕎麦、にゃんこ神社、にゃんこボート・・。

四民平等を掲げ、風雅の道に通じた楽翁松平定信公ならきっとOKしてくれたでしょう!? 

ともあれ文化は保存継承するだけでなく、新しくカルチベートして行かないと腐朽の一途を辿ることになりかねませんよね、もしかしてぇ。