HonuのMacDogMusic部屋

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北畠顕家卿 生誕700周年記念シンポジウム

2018年07月29日 | 歴史

 会場は満員で青森から山口まで広範囲にわたる来場者は根強い人気を物語っています。金谷俊一郎氏の基調講演は、パワポによる解説で歴史番組のような展開で大変わかりやいものでした。

 パネルディスカッションでは、青森市浪岡、津市、伊達市の関係者が登壇。北畠氏とのゆかりを大事に守って取り組んでおりその熱意に感銘しました。
 司会の歴女生田未歩さんは、大河ドラマで取り上げてほしい、太平記では後藤久美子が演じたがやはり女性で広瀬すず、親房は谷原章介がいい。まずは地元の人から!と盛り上げていました。兄のような天才ではないが粘り腰の弟顕信さんにも注目してほしいところですね。

私めにとっての新情報は
1.今は知られていない隠れた英雄だが、戦前は誰もが知っていた。
 尋常小学校國史に載っており。霊山はテストに出た(笑)現在の高校教科書では新田義貞~楠木正成は載っているが顕家卿はカットされた。後醍醐帝べったりではなく諫奏文があり忠臣2者より歴史的意義は大きいです。2002年の早大入試に出たことがある。教科書の影響は大きいですね。 

2.美男子の根拠
 14歳の時「陵王の舞」を踊って後醍醐帝に激賞されたが、この舞は優れた武才とともに大変な美形、美声で部下がみとれて戦にならないため、獰猛な仮面をつけて指揮をとったという陵王にちなむ。美男子でなければ舞えないから顕家卿も美形だった。

3.竜胆の家紋
 霊山の小学校の校章に使うことを許された。なんと保原高校の校章にも使われいる(HP見たら見当たらなかったのがちと悲しい)

  


今年は北畠顕家卿 生誕700年、霊山神社にて安全祈願のご祈祷。

2018年01月08日 | 歴史

 先日、北畠親房と顕家・顕信の父子らを祀る霊山神社に参拝。前日の雪で急斜面の山道が凍結しているため、途中から徒歩で向かいました、
 陸奥が結集し唯一中央に一矢を報いた歴史を噛み締めながら。文武に長け16歳で陸奥守に任じられ21歳まで統率した天才顕家、身近に喩えれば、大谷翔平+藤井聡太+片岡千之助・・・統率力・文才に欠けますね。
 秀吉の中国大返しをはるかに上回る2度の西上、元祖風林火山の旗印、ミニ幕府組織体制、後醍醐天皇への諫奏文の上奏などなど計り知れない偉業を成し遂げました。顕家の死後、驚異の粘りで転戦した顕信もしかりです。

気持ちはすっかり顕家卿だが、ガクガク、ブルブル〜
陸奥国府の霊山城はさらに高地なのですぞ。


神門の奥の拝殿でご祈祷を授かる。霊山神社の楓は京都の嵐山から移植されたらしい。京都の鞍馬山に似た風情とも言われる。


会津藩家老だった西郷頼母が戊辰戦争後宮司を務め、姿三四郎のモデル西郷四郎を鍛えたところでもあります。今年は、戊辰戦争150年で何かと喧しくありますが、忠臣結城宗広、伊達行朝、南部師直らとともに、幼い皇子・義良親王(のちの後村上天皇)を支えた陸奥の歴史「もう一つの幕末」にも光を当ててほしいところです。

宮司さんにお伺いしたところ神社では特段の催しはないが、伊達市で何がしかの記念行事を行うらしいとか。賀詞交換会で市長さんが少し言及されていましたが、単独でなくゆかりの自治体(多賀城市、白河市、須賀川市、青森市、八戸市、大阪市、吉野町、伊勢市、筑西市・・)を交えていただきたいものです。
 結城宗広父子を讃えて刻んだ磨崖碑(感忠銘)や霊山神社の始まりとなった霊山碑(「顕家生ては、奥羽を以て根拠と為し、身は泉州に死す といえども、魂魄反(帰)りて常に此の山に在るが如し」)を立てて顕彰した松平定信のように・・。

松口月城の漢詩碑

この機に新井白石が霊山を訪れて詠んだ漢詩も建立してほしいです。
「霊山鎮」
霊山開巨鎮 郷月照雄藩
鐘鼓千峯動 貔貅萬竈屯
出師資上洛 刻日復中原
一夕長星堕 年年哭嶺猿

(霊山に聳える巨大な山城、霊山鎮。月が南朝方の伊達郡の地を照らしている。鐘や鼓の音が千の嶺々に響き、屈強な兵たちが万の家々に屯している。奥羽の大軍勢を率いて上洛した北畠顕家公は一旦京都を平定した。しかし、ある日の夕方、阿倍野の戦いで敗死した。それを悲しんで 霊山の嶺々の猿が今でも毎年泣いている。)



長州から福島への贈り物

2017年03月05日 | 歴史

山口県の知人からお酒頂戴しました。

 

雪解けの摺上川のせせらぎをBGMに一献傾け、ついで常夜鍋で家飲みして堪能しました。

今年は戊辰戦争から149年、関ヶ原から417年。
酒どころの両県、
先日福島市で収穫した酒米を山口県の酒造会社が醸造した日本酒「精一杯」のお披露目がありましたが、恩讐の濁流を超えて新しい歴史が発酵するとよいですね。


本日の政宗公 with愛姫

2017年02月05日 | 歴史

戦国BASARAなどと違い小柄で恰幅の良い政宗公(存命であれば450歳)。
MCも堂々としており、案外実像はこんな感じだったかもしれません、
やや北の将軍様に似てなくもないですが・・。

めご姫は今風ながら勝気さを秘めた淑やかな所作でよろしかったです。

なお、右端来賓さまの凜とした直立不動明王な姿勢(無論めご姫の視線に緊縛されたわけではない)に感嘆いたしました...


角田と伊達政宗の溺愛

2016年05月23日 | 歴史

 牟宇姫(むうひめ)は伊達政宗の42歳の時の第2息女~12歳で角田城主(要害主)石川宗敬に嫁ぐ。 政宗は牟宇姫を溺愛し、女文字で書かれた直筆の手紙が329通も残されているとか・・「かくだ牟宇姫ひなまつり」もぜひ拝見したいですね。

 

おしゃれなお名刺を頂戴しました。