やすら木

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線の文化と円の文化

2009-07-15 14:17:17 | Weblog
若い頃から和服を一人で着られるようになりたいと思っていたところへ、「着物病」を自称する遠縁のご婦人と親しくなり、無料の教授料に加え、桐の箪笥一杯の着物・帯のおまけつきで着付けを習える幸運に恵まれた。ちなみに「着物病」とは気に入った着物はよほどのことがない限り手に入れずにはいられない病で、これにとりつかれると、高級車数台分の金額を一瞬にして消費することにもなりかねないので、くれぐれも注意が必要である。
 彼女の懇切丁寧な実践的指導の下、とにもかくにも慣れない手つきで着物の襟をあわせ、腰紐を結び、帯を結ぶべく後ろへ回した二の腕の筋肉痛をこらえつつ、上手下手の裁定はさておき、一通りの基本を覚えた。しかし、実際に外出するには着崩れしない立ち居振る舞いが必要になるのだが、少しの日常動作でどうしても着崩れてしまう。
 かつて日本人は着物で家事をこなし、舞い、歌舞伎のような激しい動作や、果ては斬り合いまでしてのけたのだからできないはずはないと考え、苦心惨憺の末たどり着いた「奥義」が「直線動作」であった。立つ、座る、手を出す、歩く、一連の所作を無駄のない直線的な動きを意識して行ったところ、着崩れしにくいことを発見した。
 こうしてみると着物の時代、日本の生活文化は「線と平面の文化」であったといえる。着付けのときに注意されたのが「帯の飾り部分を除き、とにかく皺をつくらないよう、折り紙のようにきちんと折り込むこと」であった。広げてみるとかさばる着物も、折り目正しくたためばきれいな長方形になり、この形に合わせれば箪笥も長方形になり、これを納める家も直線の間取りでなければならない。いきおい箪笥以外の家具も直線となる。
 これに対し、西洋の生活文化は「円と立体の文化」である。着物ではシワにあたるギャザーやフリルを多用したボリュームたっぷりのドレス、猫足と呼ばれるなだらかな曲線を描く足に円や楕円の天板をのせたテーブル、美しい曲線のチェストなど、立体感を感じさせる曲線のデザインが多い。この違いは何に因るのだろうか。
 四方を海に囲まれた日本の国土は狭く、暮らす人の数が多い。この事実を肌で感じていた先人は究極の合理性を生活文化に求めていったのではないだろうか。
 着物は一本の反物を無駄なく使って将来サイズを変えることもできるよう、小柄な人用には余った部分を縫い込んで仕立て、少々の体型の違いは着方で調節するようにした。そうすることにより、多くの人と共有できるため、資産としても流通した。戦後、物資の不足していた時代に、嫁入り支度で家が一軒建ったという話さえある。古着をほどけばすべて長方形の布となり、手拭い、雑巾、おしめなど様々な形で寸分無駄なく再利用された。不景気で多少反省されつつあるものの、現在の目を覆いたくなるような無駄とは対照的である。
 そして着る人にも合理性が求められた。女性には未婚・既婚・年齢に応じて着物の袖の長さや色遣いに暗黙のルールがあり、さらに江戸時代には士農工商の階級により、髪型、着物の着方、帯の結び方も決められていた。つまり、女性の着物姿を見るだけで性格・階級・年齢・婚姻の有無、資産状況までをおおよそ察することができたのであり、(「時代劇の将軍」のように容易に町人に化けることもできたのではあるが・・)少々味気ない気もするが、男女交際においても階級を意識させ、結婚を前提にした合理性を求めたと思われる。
 そしてこの究極の合理性が、日本人の情緒を大切にする気質を産んだのではないだろうか。寸分隙のない生活文化は時に息が詰まる。着物もすべて同じ型でつくられるのだから無地ばかりでは面白味がない。そこで、友禅、絞り、紬など、染・織りに技巧をこらした技術が発達し、布地に自然や四季のうつろいを表現し、同じ型だからこそ比べうる美が生まれていったのだろう。
 そして物事の解決においては、理に走らず、何より人の和や情を重んじ、曖昧ささえ容認した。行き場のない狭い国土に暮らす人々が争い続ければ、互いが滅んでしまう。もちろん民族間の対立という複雑な問題が少なかったことも、こうした考え方を可能にした大きな要因である。
 対してヨーロッパはイギリスを除き、広大な大陸が続いている。陸を辿っていけば、ロシア、中国、アラブ、インド、など遙か彼方まで国土を広げることができる。第2次対戦までのヨーロッパ諸国はそれぞれが広大な大陸を支配すべく、度重なる戦乱と和解に明け暮れた長い時代を経験した。契約という概念は戦争終結のための和解が礎となったといっても過言ではないだろう。民族問題を含め、衝突する利害をすり合わせて交渉をまとめるには理詰めの合理的思考が要求され、僅かな隙で自国の利益を逸することになる。もちろん時にはフランスで行われた美味しい料理とワインンによる「饗宴外交」といった情緒的試みが企てられることもあるのだが、日常的にこのような行為を繰り返している人々のストレスは、はかりしれないものがある。
 そこで無意識のうちに、生活文化には合理性ではなく、ゆとりや華やかな美しさによる心の癒しを求めることにより、精神的なバランスを保っていたのではないか。もちろんその根底には広大な領土を支配する野心が渦巻き、その象徴が各地に建設された壮大な城だろう。
 つまり、狭い国土に暮らす先人の知恵が作り上げた合理的な「線と平面の文化」が、日本人を情緒的気質の民族に育み、領土争奪を目的としたヨーロッパの「合理的思考」が、情緒的な生活文化として「円と立体の文化」を育んだと考えられるのではないだろうか。
 明治維新以降日本には物心両面でヨーロッパ文化が流入し、第2次対戦後はアメリカ文化が支配した。しかし、それはあくまで表面的な部分が変わっただけで、日本人の情緒的気質が大きく変化したわけではなく、従って社会構造に大きな変化も生じていない。物事の決定は理詰めの作業ではなく「根回し」という情緒的な気配りに左右され、事故が起きた場合は、責任の所在はともかく、とりあえず傷つけた側が謝罪をするという情緒的な反応が要求される。合理的思考の下では、「謝罪」は責任を認め、賠償をともなうものであるが、情緒的民族にとっては必ずしもそうではなく、単に「気持ちが収まらない」ということなのである。
 しかし、生活文化の一部は変わった。高層建築の技術が進み、容積の増大により、国土の狭さを克服し、家具や洋服など曲線かつ立体的な心癒され遊び心のある生活文化を取り入れることを可能にし、様々な利便性をも手に入れたことから、他人と助け合うプラス面での情緒的交流の必要性が薄れ、むしろその煩わしさ避けて互いに孤立してしまった。
 そして21世紀に入り、コンピュータの急激な発達とともに、経済面において国家間の壁が消失同然となり、「グローバル化」という名の合理主義の波が情緒的民族を襲った。コンピュータは合理性の象徴である。それに基づく社会を含めた組織のありようは合理性だけを追求される。その一端が成果主義であり、派遣労働システムによる労働力のコスト調整である。
 景気の良い時には沈んでいた、労働者と経営者の関係は金銭という数字のみで割り切られ、情緒的民族にはそこまでの覚悟や準備はできていなかった、という事実が昨今の金融危機で浮かび上がり、現在の混乱を引き起こしているといえる。グローバル化の波の間に難破船の乗組員が漂流し、かたや彼らをみつめながら、自分もいつ大海に放り出されるか不安を抱えながら航海を続ける乗組員が今の多くの日本人である。
 あらゆる生物は驚異的なバランスを保ちながら存在しており、人は最も複雑な構造であるため特にそのバランスは脆弱ともいえるほど微妙である。増大する不安が情緒を揺るがし、精神がバランスを失えば、心は活動を停止させるか暴走する。インターネットを含めたメディア上での情報・言動に対して自らの判断を放棄したような無節操な追随や、他人に対する無差別な攻撃がその一端である。
 揺るがされた情緒をコントロールするのは皮肉な話だが合理的思考である。自分の行動の根拠や意味、それがもたらす結果を理詰めでつきつめれば、無謀な行為は消失する。一方で、人と人との間に互いの生活を尊重しつつ分断された情緒的な交流を復活させることも必要であり、「隣人祭り」など、自立した人間関係のコミュニティを形成しようという最近の動きも、情緒的な交流を深めたいという意識の表れといえる。
 国家間の距離は近く壁は低くなり、互いにあらゆる影響を受けることが避けられない現代は、極端な合理的思考や情緒的思考では理解し合うのは難しく、様々な行き詰まりを見せている今こそ双方の良いところを取り入れたバランスの良い思考法を求めるため、日本は「線と平面の文化」が生んだ情緒的な「和の心」や「合理的生活」を、素晴らしい芸術文化とともに輸出し、「国際競争力」から「国際共存力」へと考え方をシフトさせるよう勤めるべきではないだろうか。
 染め、織り、縫い、それぞれの職人が心をこめて作り上げた黒地に桜の散る着物をたたみながら、ふとそんなことを考えた春の午後であった。
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